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バブルカー「イセッタ」に速度記録車があった! フランスの「ヴェラム」版はどうして売れなくなったのか

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 長尾 循

フランスでイセッタの性能をアピールすべく作られた速度記録車

第二次世界大戦終結直後、各国の大手メーカーが本格的に自動車の生産を再開させる前には、玉石混交さまざまなクルマたちが登場した。モータリゼーション復活前夜の耐乏生活のなか、欧州と日本で次々と作られた簡便な超小型車たち。「マイクロカー」とか「バブルカー」、あるいは「キャビンスクーター」などと呼ばれたそれらのクルマたちは、今では忘却の彼方へと消えていった。しかしそんな彼らも、ささやかながら自動車の歴史の一時代をたしかに担ったのである。今回ご紹介する「イセッタ」の速度記録車も、そんな時代だからこそ生まれた歴史の徒花だ。

戦後イタリアのイソ社が生んだマイクロカーの名作「イセッタ」

第二次世界大戦が始まった1939年に創設されたイタリアのイソ社は、終戦から4年後の1949年にはスクーターの生産を始めた。しかしベスパやランブレッタといった強力なライバルがひしめく市場で、イソのスクーターは苦戦を強いられる。そこで当時イソ社のオーナーであったレンツォ・リヴォルタは、スクーターと小型車のちょうど中間のような乗り物を開発することで、活路を見出そうとした。1953年のトリノモーターショーで発表されたその小さな「クルマ」は、ボディ前面に冷蔵庫のような片開きのドアを持つ、卵のようなデザイン。他に類をみないそのユニークな乗り物は、「イソ・イセッタ」と名付けられた。

イセッタをフランスでライセンス生産したのがヴェラム社

しかしイタリア国内ではイソ社が思ったほどはイセッタはヒットせず、同社はこのクルマをライセンス生産してくれる会社を探すこととなった。そのなかで最も有名なのが、ドイツのBMWが自社のモーターサイクル用エンジンに換装して販売したBMWイセッタで、このクルマのヒットが経営不振にあえいでいたBMWの窮地を救った。

そして同時期にフランスでライセンス生産されたのが、「ヴェラム・イセッタ」である。戦前から二輪/四輪メーカーであったBMWと異なり、ヴェラム社は戦後のマイクロカー需要の高まりを見越してイソ・イセッタのライセンスを取得して1955年から生産をスタートさせた新興メーカー。

デビュー当初は順調な売れ行きを示したヴェラム・イセッタだったが、販売台数は1956年の4886台をピークに1957年にはわずか1005台まで落ち込んだ。その理由としては、フランスにはこのヴェラム・イセッタ以外にも多くのマイクロカー・メーカーが乱立していたこと、ヴェラム・イセッタの価格に3割ほど足せば「もっとクルマらしい」シトロエン「2CV」が買えたことなどが考えられた。

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