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元祖「羊の皮を着た狼」で日本初の「GT」を名乗った! ポルシェ「904」を抜いた「スカイライン」はどうして生まれた?【国産名車グラフィティ】

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TEXT: 片岡英明  PHOTO: AUTO MESSE WEB編集部

6気筒エンジンを搭載するためにフロント部を200mm延長

ルールを遵守したばかりにレースで敗北を喫してしまったプリンス自動車。その屈辱を晴らすために打って出たのが、4気筒セダンにグロリアの6気筒エンジンを搭載することだった。勝利への強い思いで作り上げられたそのマシンは、やがて公道へと降臨する。

日産自動車に吸収合併となった直後にマイナーチェンジを慣行

高い技術力を知られるプリンス自動車は、当時の通産省からの強い要請(圧力)によって日産自動車と合併することを決断。そして1965(昭和40)年5月31日に、東京・大手町のパレスホテルで合併覚書に調印したのである。

1966年8月、プリンス自動車は日産に吸収される形で軍門にくだった。プリンス自動車の主力モデルだったスカイラインがマイナーチェンジを実施するのは、その2カ月後の10月6日である。

装いも新たに再スタートを切り、G7型直列6気筒エンジンを積む2000GT-Aとウェーバー・キャブレター装着のGT-Bは3型へと進化している。

エクステリアは、フロントマスクがデュアルヘッドライトを囲む縁取りで強調され、中央からライト側に伸びる横桟基調のメッキグリルが入った。リアクオーターピラーに換気用のベンチレーショングリルが加わったのも大きな変化だ。また、最終型にはプリンスの「P」と「NISSAN」の両方のエンブレムが付く。ヘッドライトを囲んだメッキのモールが中央に伸び、これに細い横バーと細かい縦線を組み合わせたグリルがS54系2000GT 3型の特徴だ。

リアコンビネーションランプは丸型デザイン。ケンメリ(C110)から最新のGT-Rまで使われるスカイライン系高性能モデルのアイコンでもある。最終の3型は「日産自動車」と「プリンス自動車」の両方のエンブレムを装着しているが、合併後に登場した3型は「ニッサン」のプレートを付ける。リアエンブレムの2000の地色は、GT-Aが青、GT-Bは赤だった。

日産自動車に吸収合併となった直後に装いも新たにマイナーチェンジを慣行

撮影車両は、グロリア スーパー6と同じシングルキャブレター仕様のG7型直列6気筒SOHCエンジンを搭載する2000GT-A(S54A-3)だ。GT-Bの型式はS54B-3となり、意匠変更が行われている。リアフェンダーのホイールアーチを膨らませ、全幅は15mm広い1510mmとなった。オプション設定だった5速MTとリミテッドスリップデフも標準装備化している。シートベルトも標準装備となった。

0-400m加速タイムは、それまでの17.8秒から17秒に向上。180km/hの最高速度は変わらない。

そもそもスカイライン2000GTは、生まれるべくして生まれてきたスポーツセダンではない。きっかけとなったのは、1963年5月に日本で初めて開催された第1回日本グランプリ(鈴鹿サーキット)。自動車メーカーはユーザーのサポートに徹するように、とのお達しがあったため、プリンス自動車はノーマルに近い仕様のスカイラインとグロリアを提供した。だが、他のメーカーはバリバリにチューニングしたマシンを送り込んだ。

当然、惨敗となってプリンスの高い技術力を信じていたユーザーは怒り、新車の販売は大きく落ち込んだ。そこで雪辱を期して本気になってマシン開発に乗り出したのである。

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