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日本がル・マンを初制覇したのはトヨタではない! マツダ「787」はロータリーでも初優勝という伝説の1台でした

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/マツダ

国産勢にとって初の栄誉!

これまで、戦後のル・マン24時間レースにおいて、複数回優勝を果たしたクルマを紹介してきましたが、今回は1991年にただ一度きりの優勝を飾ったマツダ「787B」を取り上げることにしました。この優勝は、ロータリー・エンジン(RE)としての初優勝でもあり、非レシプロ・エンジンとしての初優勝でもありました。そして何より、日本車(日本ブランド)としての初優勝であったということで、とりわけ深く印象付けられています。

ツーリングカー・ベースで始まったマツダのル・マン・チャレンジ

ロータリー・エンジンのル・マン24時間初参戦は、今から半世紀以上も前のことになります。1970年の第38回大会に市販レーシングスポーツ(Gr.5)の「シェブロンB16」に搭載されての出走でした。エントラントはリーバイス・インターナショナル・レーシング・チームといい、ドライバーはジュリアン・ヴェルネーブとイブ・デュプレのコンビ。

前年のスパ-フランコルシャン24時間で「ファミリア・ロータリークーペ」をドライブし、REのパフォーマンスに惚れ込んだ格好でマツダ(当時は東洋工業)にエンジン貸与の依頼があったようです。REのレースデビューは1968年にドイツのニュルブルクリンクで開催された耐久レース、マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久からとなります。

ここで初出場ながらポルシェやランチアに次ぐ総合4位入賞を果たしたことでREに対する評価が高まるとともに、レース関係者も注目し始めたのです。そして翌1969年には「コスモスポーツ」に換えてファミリア・ロータリークーペで同レースに参戦。

デュプレはその大会ではリタイアに終わっていましたが、同年のスパ24時間では片山義美とのコンビで4台のポルシェに次ぐ5位入賞を果たしていますから、REのパフォーマンスだけでなく耐久性にも信頼を置いていたのでしょう。

ただル・マンの決勝では補器類のトラブルからエンジンを傷めてしまい、スタートから1時間余りでリタイアとなっています。続いてREがル・マンに登場したのは1973年。この時は国産コンストラクターで、現在SUPER GTなどで活躍しているSARDの源流となっているシグマ・オートモーティブで製作したグループ6、「シグマMC73」に搭載されての参戦でした。

シグマは富士グランチャンピオン(GC)レースにも出場するマシンを製作するなどキャリアを積んできたコンストラクターで、MC73は予選でも14位を奪うなど上々の速さを見せていましたが、決勝ではさまざまなトラブルに見舞われ夜明け前にはレースを終えることになりました。翌1974年にもシグマとREのチャレンジは継続されましたが、ボディを一新した「MC74」も決勝でトラブルが続出。24時間レースのうち10時間近くをピットに留まり、24時間を走り切って21番目にチェッカーを受けたものの完走扱いになりませんでした。

SARDとのジョイントを2シーズンで終えたREの次なる挑戦は1979年。競技車両は、のちにマツダのモータースポーツを統括するMAZDA SPEEDへと発展していくマツダオート東京のモータースポーツ課が主体となって開発してきたもので、「サバンナRX-7」をベースにグループ5にコンバートしたモデルです。

マツダRX-7 254

1979年のル・マン24時間に登場した「サバンナRX-7 252i」は流麗なボディデザインと、日の丸をあしらったカラーリングで人気の的となりますが、メカニズム的にもルーカス製のメカニカルインジェクションを装着した13B式REはマツダオート東京でチューンされ285psを絞り出していて、公式予選や決勝レースに対する期待は高まっていました。

しかし準備不足と不運なハプニングが連続し、予選不通過となってしまいました。1年おいた1981年のル・マン24時間に雪辱を果たそうと参戦したのは252iの発展モデル「253」。外観ではテール部分を延長してダックテールを備え、リアウイングを取り去っていたことが大きな相違点でした。

メカニズム面では広島のマツダ本社でチューニングされたエンジンが搭載されたのが特徴。インジェクションからWEBER製のキャブレターに変更されていましたが、最高出力は300psに達していました。2台揃って予選通過は果たしたものの、決勝ではともに駆動系のトラブルでリタイアに終わり、またしてもル・マンの厳しさを痛感させられることになったのです。

しかし、苦しみが大きかった分、それに打ち勝った時の喜びは倍増します。それが1982年のル・マン24時間に参戦した「RX-7 254」でした。254は、252iから始まったシリーズの集大成的なマシンで、エンジンも空力を追求したボディも、253のそれをブラッシュアップしたものとなっていました。予選ではわずかながら前年のタイムを更新。決勝では14位で走り切り、マツダオート東京にとって初の完走をもたらすことになります。

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