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アメリカ音楽の都メンフィスへ! BBキングやプレスリーの足跡をたどりながら食べるBBQは牛ではなく豚…その理由とは【ミシシッピ川ブルース旅_15】

アメリカ音楽の都メンフィスへ! BBキングやプレスリーの足跡をたどりながら食べるBBQは牛ではなく豚…その理由とは【ミシシッピ川ブルース旅_15】

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TEXT: 牧野森太郎(MAKINO Shintaro)  PHOTO: 牧野森太郎(MAKINO Shintaro)

  • ニューオリンズからミシシッピ川沿いに北上。テネシー州メンフィスへ
  • 愛車の“キムさん”こと、キア スポーテージ。よく走ってくれます
  • ついにテネシー州に入った
  • こちら「ロックン・ソウル博物館」。ロックもソウルもメンフィスで生まれた
  • ブルース・トレイルはミシシッピからメンフィスへ。みんな夢を追ってやってきた
  • ビール・ストリートのアーチに灯がともる
  • BBキング・ブルース・クラブ。今もBBはメンフィスの英雄だ
  • ぼくが入ったクラブで演奏していたブルース・バンド。レイドバックしたいい演奏だった
  • 音楽を聴きながら、シチューとIPAをいただく。これ以上の幸せはありません
  • 店内はこんな感じ
  • ビール・ストリート。まだまだ宵の口だ
  • ネオンサインも雰囲気があります
  • BBがDJの仕事を得たラジオ局WDIA。今でも放送を続けている
  • エルヴィスが録音したサン・レコード。観光名所だ
  • ショーウインドウを見ていた無名のエルヴィスに店主が「中に入れよ」と声を掛けると、「お金がまったくないんです。でも、将来、リッチになったら……」と彼は答えた。その出会いがふたりの生涯のつき合いになったとか。いい話です
  • 今はミュージアムになっているスタックス・レコード。メンフィス・サウンドを世に出した
  • 思わず目を疑ったアレサ・フランクリンの生家
  • 今夜の宿はかわいい一軒家のAirbnb
  • メンフィスの名所、ピラミッド型のメガ・ショップ「Bass Pro Shop」。アウトドア関連の商品なら何でもそろう
  • エントランスに展示されていたバギー、1300ドル。安い!
  • 裏町にひっそりとあるBBQの名店、「ランデブー」。入るのには勇気がいる?
  • これが名物のラックだ。BBQソースではなく、香辛料を擦り込んだラブ(rub)・タイプ
  • 厨房は煙でモクモク。迫力満点だ
  • こちらが別の店で注文したソース・タイプのラック
  • ミシシッピ川の夕景
  • Bass Pro Shopの最上階からの眺望。対岸はアーカンソー州
  • これで走りながら市内観光。安全運転で!

テネシー州メンフィス、それは音楽のスクランブル交差点

2024年の8月末から、アメリカをミシシッピ川沿いに南北縦断して音楽の歴史をたどる旅に出ることにした筆者。ニューオリンズでダッジ「デュランゴ」こと“ルシール号”をレンタルして、ブルースの故郷である「ミシシッピ・デルタ」を仲間と4人で巡りました。旅の後半はひとり旅。ルイジアナ州ニューオリンズのハーツレンタカーで借りたキア「スポーテージ」を“キムさん”と名づけて、ミシシッピ川流域を北上。今回はテネシー州メンフィスを訪れます。

ずらりとライブ・ハウスが軒を連ねる

さあ、いよいよメンフィスだ。メンフィスはアメリカン・ミュージックの発展において重要な役割を果たした。南からはブルースやジャズが北上し、東からはカントリーがやってきた。さらにミシシッピ川を隔てた北西のミズーリからはラグタイムが伝わった。それらの音楽が出会い混じり合って、ロックやソウルが誕生したのだ。メンフィスは、まさに音楽のスクランブル交差点といえる。

まず、向かったのはビール・ストリート。ニューオリンズのバーボン・ストリートと並ぶ南部を代表する音楽繁華街だ。道の両側にずらりとライブ・ハウスが軒を連ね、音楽を響かせている。めぼしい店に入って一杯ずつ飲みながらはしごするのが正しい楽しみ方だ。

アレサ・フランクリンの生家も残っていた

この町でチャンスをつかんだビッグ・スターがBBキングだ。ミシシッピの綿花畑で働いていた彼は、夢を抱いてメンフィスにやってきた。そして、WDIAというラジオ局のオーディションを受け、DJの仕事を得る。自分の番組で自作曲を演奏すると、これがブレイク。ブルースシンガーとしての足がかりを作った。BBは、ビールストリート・ボーイの略だ。

彼のきれいな歌声と独特のギター奏法は白人ファンをも魅了した。プランテーションでひっそりと歌われていたブルースをメジャーな音楽にした彼の功績は大きい。それはエリック・クラプトンなどの白人ブルースマンを生むきっかけにもなった。

アメリカン・ドリームを体現したスーパースターといえば、エルヴィス・プレスリーを忘れてはいけない。エルヴィスは、ある日メンフィスのサン・スタジオでドーナツ盤を録音した。当時は、安い金額でレコードを作るのが流行していたのだ。彼が払ったのはたった4ドルだったという。すると、それがプロデューサー、サム・フィリップスの目に止まり、大スターへの道が拓けたのだ。エルヴィスが暮らした豪邸、グレースランドもメンフィスにある。

メンフィス・サウンドといえば、ビートが効いたファンキーなソウルを指す。スタックス・レコード(現在は博物館になっている)は、1960年代にサム&デイヴやオーティス・レディングを擁して全米にヒットを飛ばした。しかし、人気絶頂だったオーティスは「ドック・オブ・ベイ」を録音した3日後に飛行機事故で他界してしまう。展示を見ながら、早逝した天才の運命に思いを馳せた。

もうひとつ、驚いたのはアレサ・フランクリンの生家が、スタックスから5分の距離にあることだった。エルヴィスの生家に輪をかけた貧しい家で、ファンが置いた供物が寂しさを助長していた。ここであの大スターが生まれたかと思うと感慨ひとしおだ。

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