テネシー州メンフィス、それは音楽のスクランブル交差点
2024年の8月末から、アメリカをミシシッピ川沿いに南北縦断して音楽の歴史をたどる旅に出ることにした筆者。ニューオリンズでダッジ「デュランゴ」こと“ルシール号”をレンタルして、ブルースの故郷である「ミシシッピ・デルタ」を仲間と4人で巡りました。旅の後半はひとり旅。ルイジアナ州ニューオリンズのハーツレンタカーで借りたキア「スポーテージ」を“キムさん”と名づけて、ミシシッピ川流域を北上。今回はテネシー州メンフィスを訪れます。
ずらりとライブ・ハウスが軒を連ねる
さあ、いよいよメンフィスだ。メンフィスはアメリカン・ミュージックの発展において重要な役割を果たした。南からはブルースやジャズが北上し、東からはカントリーがやってきた。さらにミシシッピ川を隔てた北西のミズーリからはラグタイムが伝わった。それらの音楽が出会い混じり合って、ロックやソウルが誕生したのだ。メンフィスは、まさに音楽のスクランブル交差点といえる。
まず、向かったのはビール・ストリート。ニューオリンズのバーボン・ストリートと並ぶ南部を代表する音楽繁華街だ。道の両側にずらりとライブ・ハウスが軒を連ね、音楽を響かせている。めぼしい店に入って一杯ずつ飲みながらはしごするのが正しい楽しみ方だ。
アレサ・フランクリンの生家も残っていた
この町でチャンスをつかんだビッグ・スターがBBキングだ。ミシシッピの綿花畑で働いていた彼は、夢を抱いてメンフィスにやってきた。そして、WDIAというラジオ局のオーディションを受け、DJの仕事を得る。自分の番組で自作曲を演奏すると、これがブレイク。ブルースシンガーとしての足がかりを作った。BBは、ビールストリート・ボーイの略だ。
彼のきれいな歌声と独特のギター奏法は白人ファンをも魅了した。プランテーションでひっそりと歌われていたブルースをメジャーな音楽にした彼の功績は大きい。それはエリック・クラプトンなどの白人ブルースマンを生むきっかけにもなった。
アメリカン・ドリームを体現したスーパ
メンフィス・サウンドといえば、ビートが効いたファンキーなソウルを指す。スタックス・レコード(現在は博物館になっている)は、1960年代にサム&デイヴやオーティス・レディングを擁して全米にヒットを飛ばした。しかし、人気絶頂だったオーティスは「ドック・オブ・ベイ」を録音した3日後に飛行機事故で他界してしまう。展示を見ながら、早逝した天才の運命に思いを馳せた。
もうひとつ、驚いたのはアレサ・フランクリンの生家が、スタックスから5分の距離にあることだった。エルヴィスの生家に輪をかけた貧しい家で、ファンが置いた供物が寂しさを助長していた。ここであの大スターが生まれたかと思うと感慨ひとしおだ。


















































































