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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

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【潜入調査】ルノーの旧車をEVにコンバートできるレトロキット!? 一般見学不可の「ルノー・クラシック」で見たプロジェクトに期待!

ル・マン24時間レースの長い歴史をリアルに展開させてきたル・マン・クラシックは、2023年に100周年を記念して特別大会が開催されました。その取材の前後にフランスの博物館を旅してまわってきた中から、今回は一般には非公開の「ルノー・クラシック」を紹介します。

日本がル・マンを初制覇したのはトヨタではない! マツダ「787」はロータリーでも初優勝という伝説の1台でした

1991年に開催されたル・マン24時間耐久レースで、一度きりの優勝を飾ったマツダ787Bをピックアップしました。この優勝は、ロータリー・エンジン(RE)としての初優勝でもあり、非レシプロ・エンジンとしての初優勝でもありました。あらためて振り返ります。

プジョー「905」がル・マンで表彰台を独占!「グループC」の最後を飾ったプジョーのレース史を振り返ります

スポーツ・プロトタイプカーによる世界選手権とル・マン24時間は、1991年から車両規定が変更され、グループCはすべてF1GPと同様に3.5Lの自然吸気エンジンのみに制限。今回は、新たなグループCに1990年代から新規参入してきたプジョーを振り返ります。

打倒ポルシェ! ジャガーが31年ぶりにル・マン24時間の王座を奪還するまでの長い道のりとは

ル・マン24時間レースで6連勝を果たしたポルシェ956/962C。世界中のメーカーが「打倒、ポルシェ!」を合言葉に競争力を磨いてル・マンにこぞって参戦を続けてきました。そしてポルシェ打倒を目指したメーカーの、先陣を切ることになったのがジャガーでした。

最強最速のポルシェは「956/962C」で間違いなし! ル・マン6連勝を記録したマシンの栄光の軌跡とは

1976年にポルシェ936で初めて総合優勝を飾ったポルシェは、以後もターボの性能を磨き上げていきました。1982年には、新たなグループC規定に則った956が登場するやいなや、1985年まで4連勝! 今回は956/962Cを振り返ります。

ポルシェ「936」がターボエンジンとして初のル・マン制覇! アルピーヌとの違いは信頼性の高さでした

1976年のル・マン24時間レースにワークス・ポルシェがカムバック。同年のル・マン・デビューとなった936は、ポールポジションをルノー・アルピーヌに譲ったものの決勝では常に優位なレースを展開しました。同車を振り返ります。

ポルシェの悲願だったル・マン初制覇!「917」は伝説の王者でした

ポルシェのル・マン24時間初参戦は1951年の第19回大会で、以降クラス優勝を重ねていきました。マシンをアップデートし、ポルシェが初めて総合優勝を争うようになったのは1968年の第36回大会からとなります。伝説の王者となったポルシェ917を振り返ります。

ル・マン3連覇したのはフェラーリではなく「マトラ」でした! 70年代の新レギュレーションで主役になったフランスのメーカーとは

フェラーリやフォードに続き、ル・マン24時間レースの主役となったのは、フランスのスポーツカーメーカー、マトラ・オトモビルでした。自動車メーカーと言うよりもレーシングカー・コンストラクターとしての知名度の方が高いかもしれません。ル・マン王者になるまでを解説します。
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