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実力はスペック以上!280馬力自主規制でパワーダウンを余儀なくされた国産車5選

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: Auto Messe Web編集部/三菱

日本車だけ設定された上限280馬力の壁

 日本のお役所、お役人は、何かあっても責任はちっともとらない。だが国民に対しては、無意味なルールを強いるのが仕事だと思っている節がある。学校の校則などはまさにそうしたものの代表例だが、自動車業界にも無意味耐性力が試されているようなルールが散見される。その最たるものが、1989年から2004年6月まで続いた、普通自動車の『280馬力自主規制』……だ。

 280馬力自主規制とは、国産車が300馬力時代に突入する直前に当時の運輸省(現・国土交通省)が、日本自動車工業会に「行政指導」という名で、馬力規制を要請……。同じ国産車でも輸出車は規制外、そして輸入車も規制外というバランスを欠いた、ダブルスタンダードのルールを課した歴史がある。

 その280馬力規制のあおりを食った代表的な車種をピックアップしてみよう。

日産フェアレディZ(Z32)

 国産車で初めてカタログのパワー値が280馬力として発表されたのは、1989年に登場した日産のフェアレディZ(Z32)。3リッターV型6気筒・ツインターボのVG30DETTを搭載。このエンジンはもともと市販化を前提にしていたMID4 II用のパワーユニットとして開発されていたエンジンで、330馬力が目標だった(MID4 IIは、このエンジンにZ31型フェアレディZのミッションと組み合わせ縦置きレイアウトにする予定だった)。

 運輸省は馬力規制の上限をもっと低く設定したかったようだが、このZ32が280馬力で登場したことで、それがひとつ既成事実となり、「280馬力以上はまかりならん」という流れになったとされている。

 つまり、Z32は280馬力の第1号車であると同時に、280馬力規制を作ったクルマにもなっている。なお、Z32はボディの空力が優れていたので、スピードリミッターをカットするだけで、最高速は270km/hに達していた。

日産スカイラインGT-R(R32)

 280馬力時代の主役といえば、なんといってもR32型スカイラインGT-R。Z32が1989年の7月デビューで、R32GT-Rは同じ年の8月に発売開始。

 もともとグループA仕様で600馬力を発揮できるように設計された名機RB26DETT型2.6リッター直列6気筒DOHCツインターボエンジンは、市販車でも300馬力として登場する予定だった。だが、自主規制の網にからめ捕られてカタログ値は280馬力となってしまった。

 しかし、本来のポテンシャルをわざとセーブして売り出したので、エアクリーナーやマフラーなどライトチューンでもすぐに300馬力オーバー。チューニングする楽しさに目覚める人が多かった。RB26DETTは、チューニング次第で1000馬力に耐える、国産で最初のエンジンだった。

インフィニティQ45

 今となっては非常に印象の薄いクルマとなってしまったが、名車として名高いトヨタ初代セルシオのライバルとして平成元年11月に登場した日産のフラッグシップ・サルーン「インフィニティQ45」。エンジンは、4.5リッターV型8気筒DOHCのVH45DE型。

 じつは輸出仕様ではあるが、国産車としては初めて300馬力の大台に乗ったのはこのクルマだった。国内仕様は自主規制のため280馬力となったが、NAエンジンでの280馬力は、NSXよりもインフィニティQ45の方が先!

 日産はフェアレディZ(Z32)、スカイラインGT-R(R32)、Q45の三台を、300馬力トリオとして売り出そうとしていたのだが、運輸省に待ったをかけられてしまった……。

ユーノス・コスモ

 2ローターの13Bエンジンに、もうひとつローターをプラスしてスケールアップをする手法は、ル・マン24時間レースを戦ったマツダ757でも実績あるやり方。その3ローターの20Bエンジンを市販車に搭載したのが「ユーノス・コスモ」だ。

 国産車初のシーケンシャルツインターボで、当初は333馬力を目標に開発。280馬力規制でディチェーンされたが、レシプロのV12気筒エンジンがライバルという想定だった。

 ちなみに同じロータリーエンジンでも、RX-7(FD3S)は、デビュー当時255馬力しかなく、280馬力になったのはFD3Sの6型になってからと意外に遅い。ユーノス・コスモはパワフル度も図抜けていたが、燃費の悪さも比類なかった(リッター1~4km程度)。

その他

 90年代半ばになると各メーカーの上位モデルは、280馬力が珍しくなくなっていく。特筆できるのはホンダNSX。3リッターのNAエンジンで280馬力というのは、やっぱり秀逸。

 2リッターターボでは、三菱ランサーエボリューションがエボIV(1996年8月)になって280馬力。ライバルのスバル・インプレッサは、1996年9月のマイナーチェンジで、GC8のD型のときに280馬力に進化した。

 異色なところでは、パリ・ダカールラリーの市販車改造クラス&無改造車クラスをターゲットにした、三菱パジェロ・エボリューション(1997年)が、SUVながら280馬力に! 3.5リッター V型6気筒+可変バルブMIVECの6G74型エンジンを搭載していた。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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