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いま考えると手頃に買える「ミッドシップスポーツ」って偉大すぎる! トヨタMR2という衝撃のクルマ

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TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi)  PHOTO: Auto Messe Web編集部

日本車初のニュルブルクリンクでテストを敢行

 走行性能は日本では前例がないミッドシップカーを生み出すため、クルマの特性作りには時間が費やされ、カリフォルニアの耐熱テスト、アウトバーンでの高速連続走行、そして極めつけは日本車初ともいえるドイツのニュルブルクリンクオールドコースでのテストも敢行。当時業務提携を結んでいたロータスのテストドライバーを招き、テストに参画させるなど異例の体制で仕立てられたが、最後までパーソナルクーペとしての立ち位置を変えることなく、走りの味付けは誰にでも扱えるマイルドな特性で煮詰められた。日本車初ともいえるドイツのニュルブルクリンクオールドコースでのテストも敢行した初代MR2

 居住スペースには比較的余裕があり、ヒップポイントも高めで、視認性も良好。雰囲気はスポーティだが、着座位置を含めて室内はスポーツ性よりもパーソナル性が重視されている。ちなみに製造工場は今やなきセントラル自動車で、ガルウイングのセラやヴィッツをベースとしたコンプリートカーWillシリーズといった特殊車両を数多く製造していた。今は無きセントラル自動車で製造された初代MR2

 当初の思惑どおりターゲット層から受け入れられ、2シーターミッドシップながらデビューから2年強で全世界に9万台以上を販売。ミッドシップの大衆化を成し遂げたMR2だが、やはりミッドシップ=スポーツカーのイメージが強いのか、さらなる動力性能と運動性能を求める声が日に日に高まっていった。その背景には当時の1.6Lクラスで起こっていた過激なパワー競争も大きく影響しており、販売台数強化のためには立ちはだかるライバルに対してアドバンテージを得る必要があったのだ。デビューから2年強で全世界に9万台以上を販売した初代MR2

「5年間で16万台」が売れるヒット作に

 そのため、1986年8月のマイナーチェンジで4A-Gエンジンにスーパーチャージャーをドッキングし、足まわりを強化。パーソナルクーペからスポーツカー方向へと舵を切る。145ps/19.0kg-m(ネット)はライバルに対して大きなアドバンテージとなり、AE92レビン/トレノのとともにテンロクスポーツ界をリードするに至った。1986年8月のマイナーチェンジで4A-Gにスーパーチャージャーをドッキングした初代MR2

 また、マイナーチェンジではコンセプトモデルで設定されていたTバールーフが追加され、オープンエアモデルとしての楽しみもプラス。この流れが2代目のMR2へと続いていく。モータースポーツでは主にジムカーナで活躍。初期にはWRC(世界ラリー選手権)グループB、グループSへの参戦をもくろみ、投入寸前までマシン開発は進んでいたが、カテゴリーがなくなり、表舞台で活躍することなく、ひっそりと姿を消している。

 初代MR2の販売台数は5年間で国内4万台、全世界では16万台を記録し、2代目へとバトンを託す。ちなみに時代が異なるため直接比較とはいかないが、この数字はトヨタ86の販売台数を大きく上回っている。実用性に乏しい2シーターミッドシップの初代MR2がどれだけ人気が高かったが伺い知れる事実だ。初代MR2の販売台数は5年間で国内4万台、全世界では16万台を記録

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