GT-R好きが高じて日本語習得! オーストラリア人を「虜」にしたR34の魔力 (1/2ページ)

GT-R好きが高じて日本語習得! オーストラリア人を「虜」にしたR34の魔力

海外流出したGT-Rは幸せに暮らしているのか?

アメリカの法律で「生産から25年経過したクルマはクラシックカーもしくは骨董品として扱われ輸入が解禁される」いわゆる『25年ルール』もあり、海外にGT-Rが流出している。かなりネガティブなイメージで捉えられているが、中には日本のオーナーに負けず劣らず、いやそれ以上にGT-Rを愛し、苦労して手に入れた自らの愛車を大切に乗り続けている「愛すべき変態」がいるということも知ってほしい。自らもGT-Rオーナーのドイツ人写真家アレキサンダー・キューレテムさんが撮影した写真集「GT-R THE JOURNEY」に収めた世界中のRオーナーたち。オーストラリアのジョン・オラソーさんもその一人なのである。

GT-Rを知ってから日本のビデオを見まくった10代

 GT-Rとの最初の出会いは映画だったというジョンさん。そのタイトルは覚えていないが、一緒に見ていた友人が教えてくれたそうだ。初めて実車を見たのはオーストラリア・メルボルンで開催されていたモーターショーでのことだったと言う。ラリーイベント「タルガ・タスマニア」にエントリーするための車両で、室内にロールケージが組まれた白いR34だったそうだ。

【関連記事】トラック野郎の憧れだった「動くアート」! 昭和を駆け抜けた伝説の「デコトラ」13選

画像はこちら

 GT-Rの魅力にハマったのはそのころから。ほぼ毎日、あらゆる日本のクルマ系ビデオを見ていた。なかでも有名チューニングショップである『マインズ』のR34が福島県のエビスサーキ ット・東コースを走っていたシーンは彼に絶大なインパクトを与えたという。チューニングされたGT-Rの凄さを、マインズのR34から学んだのだ。

 それからというもの、英語字幕が付いているビデオはもちろん、字幕のない動画も見るようになった。そして気付けば日本語が理解できるようになっていた。 2015年に数週間日本に滞在したことで、さらにそのスキルはアップし、会話までできるようになったというから驚きだ。

9時間750km走行後もまだ走り足りず……

 GT-Rのおかげで日本語を習得したこともあり、今ではレクサスのセールスマンとして忙しい毎日を送っている。当然のことながら通勤ではレクサスに乗り、週末はGT-Rを乗り回す。ジョンさんはもともと日本車が好きだったのだろうか?

「そうだね。以前は1992年式のマツダMX-6にも乗っていたし、このR34を入手する前は1993年式のR32GT-Rも持っていたんだよ。そのR32はもともと日本のチューニングメーカーである「HKS」で働いていた人がオーナーだったらしい。九州からオーストラリアに渡ってきた1台だったよ」

画像はこちら

 今のR34との出会いについても気になるトコロだ。やはり日本から直接輸入して手に入れたのか?

「僕は今メルボルンに住んでいるのだけれど、このR34はアデレイドにあったんだ。自宅からは距離にして約750km離れた場所だ。父親と一緒に引き取りに行って、メルボルンまで9時間くらいの運転だった。家に着いたときはさすがに疲れたけれど、洗車してからすぐに峠に行ったよ!」

 R34を手に入れたのは2011年11月5日だったという。

「ニスモ」のS-tuneフロントバンパ ーや18インチのホイール「BBS」RG-Rなどが装着されていたこのVスペック。 それからほぼ5年間、どこへ行くときもR34に乗っていたそう。

「今は『スカイライン・オーストラリア・ビクトリア』というクラブに入っているんだ。オーストラリアでレースをするにはクラブに入る必要があるからね。ちなみにこのクラブはGT–Rだけじゃなくて、その名の通り、スカイラインオーナーのクラブ。1年間に7回くらいは仲間たちとサーキットを走るよ」

画像ギャラリー