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スバルWRC三連覇の「大いなる助走」!「レオーネ」&「レガシィ」が果たした功績とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了、スバルテクニカインターナショナル

STiとプロドライブがタッグを組み数々の栄光を手に入れた90年代

 その後、1989年1月にスバルの屋台骨を支える基幹車種となるレガシィが登場することになりました。前年にスバルのモータースポーツを統括するスバルテクニカインターナショナル(STi)が設立されており、レガシィは当初から『戦うクルマ』であることが運命づけられていたかのように、それまで以上に精力的にWRCチャレンジを開始することになりました。スバルWRCの栄光はスバル1000、レオーネ時代から始まった

 具体的には当時、BMWのワークスチームとしてM3でWRCに参戦していたプロドライブと契約し、1990年のWRC第5戦アクロポリスから本格参戦を開始しています。じつはデビュー戦となるアクロポリスの2カ月前に行われたサファリラリー(こちらはWRC第3戦)にも参戦していますが、この時は国内で仕立てたレガシィRSでの参戦でした。

 そしてアクロポリスからはプロドライブで製作した車両で参戦。同じグループA仕様のレガシィRSでありながら、やはりラリー・スペシャリストのプロドライブが仕立てた車両は、まさに本物のマシンでした。初年度には結果に繋げることはできませんでしたが、グラベルでの速さは天下一品で、高い評価を受けることになりました。スバルWRCの栄光はスバル1000、レオーネ時代から始まった

レガシィからインプレッサへマシンをスイッチ! 戦闘力が大幅に向上

 その一方で、レガシィで鍛えられた主要コンポーネントをひと回りコンパクトなボディに組み込んだ進化モデルともいうべきインプレッサが誕生することになりました。1992年10月にベースモデルが登場したインプレッサのWRC用参戦車両の開発が着々と進む中、レガシィはなかなか勝利を奪うことができないままでいました。

 このままではWRCで未勝利のままインプレッサに主戦の座を譲るのでは、とも噂されるようになりましたが、スバルでは何とか優勝を飾って引退の花道にとWRC参戦を続けていきました。スバルWRCの栄光はスバル1000、レオーネ時代から始まった

 そしてその日がとうとうやってきました。1993年8月、シリーズ第8戦のニュージーランドがその舞台となりました。ドライバーはコリン・マクレー。1991年に抜擢されてチーム入りし、WRCを戦う傍らでイギリスラリー選手権にも参戦、こちらでもレガシィを駆って1991年~1992年と連覇していた彼は、WRCでもその速さをいかんなく発揮。

 レガシィとスバルに初優勝をもたらすとともに、彼自身も記念すべきWRC初優勝を飾りました。そしてこの優勝をきっかけにレガシィはWRC主戦の座をインプレッサに譲り渡すことになりました。スバルWRCの栄光はスバル1000、レオーネ時代から始まった

 ニュージーランドの次戦、フィンランドで戦われた1000湖ラリーではインプレッサが勇躍デビュー。ベテランのアリ・バタネンのドライブで、デビュー戦即優勝かと思われる速さを見せつけて2位入賞。

 そしてトップコンペティターとなったインプレッサは、1995年に初のワールドタイトル(マニュファクチャラー&ドライバーのダブルタイトル)を手にするとともに、メイクスタイトルについては1997年まで3連覇。我が世の春を謳歌することになるのですが、そんなインプレッサの活躍は、また別の機会に紹介することにしましょう。スバルWRCの栄光はスバル1000、レオーネ時代から始まった

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  • スバルWRCの栄光はスバル1000、レオーネ時代から始まった
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  • 原田 了(HARADA Ryo)
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  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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