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さらなる速さを求めたWRCの「グループS」! 幻に終わった爆速マシンたち

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/TOYOTA GAZOO Racing/STELLANTIS/SUBARU

最強バトルから4輪駆動+ミッドエンジンが誕生

 1981年にデビューしたアウディ・クワトロは1982年にマニュファクチャラーズとドライバーズ(ヴァルター・ロール)のダブルタイトルに輝き、1983年にはハンヌ・ミッコラ、1984年にはスティグ・ブロンキストとドライバータイトルを3連覇。

 1984年には2度目のマニュファクチャラータイトルも手に入れていますが、1983年にはランチアが新投入した037ラリーでアウディの連覇を阻んでいます。確かに、4輪駆動とミッドエンジンのバトルは見事な頂上決戦を演じたことになります。ランチア・ラリー

 それならば、4輪駆動とミッドエンジンを組み合わせたら? そう考えるのも無理からぬことで、これを最初に実践したのがプジョーでした。1984年シーズン中盤にミッドエンジンの4輪駆動という最強のパッケージとなる205ターボ16をデビューさせ、1985年シーズンと1986年シーズン、2年連続してダブルタイトルを奪い、最強であることを証明しています。

 ランチアは1985年シーズンの最終戦にはミッドエンジンで4輪駆動のデルタS4をデビューさせ、アウディもミッドシップ・クワトロの完成を急いでいました。ですが、1985年から1986年にかけてアクシデントが相次ぎ、結局、1986年シーズンを限りにグループBはWRCから締め出されることになりました。ランチア・デルタS4

 そしてそこから発展したカテゴリーのグループSは、そのカテゴリーそのものが無くなってしまったのです。開発途上だったグループSカーにはチャレンジの機会すら与えられることはありませんでしたが、アウディのミッドシップ4駆マシンは、RS002のネーミングを与えられ、博物館で静かな余生を過ごしているそうです。アウディRS002

 これまでに何度か訪れた際には不在で出逢うことはありませんでしたが、再度アウディ・ミュージアムを訪れる機会があれば、ぜひとも対面を果たしたいものです。

 一方、ランチアのミッドシップ4駆マシンはECV(Experimental Composite Vehicle。実験的複合車両の意)として最先端技術のテストベッドに使用されたのち、ランチアコレクションで余生を過ごしているようです。前にイタリアに取材で訪れた際、マルティニ・レーシングの周年企画展で出会っていますが袖擦りあうだけだったので、もう一度機会があれば、今度はじっくりと見てみたいと思う今日この頃です。ランチアECV

4輪駆動もミッドエンジンも持っていなかったトヨタの一念発起

 ところでグループSカーは国内にも存在しています。じつはグループ4からグループBへとWRCの主役が交代した段階で、トヨタにはミッドエンジンカーも、高速走行を前提としたフルタイム4駆もラインアップされていませんでした。トヨタ222D

 そこでターボエンジンを搭載した後輪駆動のセリカツインカムターボでグループBを戦いながら、新たなグループB/Sカーを開発することになりました。それがトヨタMR2をベースにした222Dです。MR2をベースに、モノコックのコクピット部分を残して前後を切り取り、そこにパイプでスペースフレームを組付けるという手法でした。当初は3S-GTEエンジンを、ベースと同様にミッドに横置きマウントしていましたが、最終的には縦置き搭載とし、まるでレーシングカーのようないで立ちとなっていきました。トヨタ222D

 当初はグループBカーとして開発が進んでいきましたが、グループSが計画されるようになったために目標をグループBからグループSへと変更。しかし先に触れたようにWRCからグループBが締め出され、グループSのカテゴリーそのものが絵空事となったために、222Dも実戦参加することなく引退を余儀なくされています。トヨタ222D

 こちらの現車はお台場のMEGA WEB内のヒストリーガレージに展示されていましたが、昨年末にMEGA WEBが閉館されてからは、おそらく収蔵元であったトヨタ博物館に戻されたと思います。昨年、幻のプロトタイプカーFILEで取材した際に、細部までじっくり観察することができ、その超怒級な迫力に驚かされたことを鮮明に覚えています。トヨタ222D

 マツダがRX-7ベースのマシンを開発していたとか、海外メーカーのなかにもグループSカーを開発していたとの話もありましたが、残念ながら彼らとは出会ったこともなく、また今後とも出会えそうにもないのは残念です。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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