軽自動車の概念を超えるスペックが与えられたアルトワークス
生後60日くらいの柴犬の首に唐草模様のバンダナを巻けば、それだけで「ああ豆助だぁ。日本だなぁ」と思える。同様に、カセットテープやMD時代からのソニーの小型レコーダーやウォークマン、テクニクスのコンサイスコンポ、カシオのデジカメであるEXILIM、出始めのころのNECモバイルギヤ、ソニーエリクソンの超小型携帯電話だったPreminiなどなど、小さくても高性能なガジェット、プロダクトといえば、ひところは日本のお家芸だった。
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画像はこちら 鈴木 修・スズキ自動車元会長が「芸術品」と表現したように、日本の軽自動車は、そもそもミニマムなボディサイズ、コストなどの制約のなかで、知恵と工夫が凝らされて出来たクルマ。その上で、さらに凝ったメカニズムをこれでもか! とばかりに投入、それまでの軽自動車の概念を超えるスペックが与えられたのがアルトワークスだった。
アルトターボから進化していったワークス
ちなみにアルトワークスは、1985年9月登場の“アルトターボ”が始まりであり源流。カタログにも“その甘いルックスにまどわされると”などと書いてあったが、1984年に初のフルモデルチェンジで登場した2代目アルトのソフトムードなルックスはほぼそのままに、1985年9月に設定されたのが最初のアルトターボだ。
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画像はこちら タービン径36mm、常用回転数19万回転という超小型ターボチャージャーにアルミ製空冷式インタークーラーをプラス。3気筒543ccエンジンはクラス初だったE.P.I.(電子制御燃料噴射)も採用することで、44ps(グロス)/6.0kg−mの性能を発揮させた。
さらに1987年9月になって誕生したのが初代ワークス。ここでエンジンは何と4バルブツインカムターボへと進化。スペックは64ps(ネット)/7.3kg−mに向上した。だが、実際にはさらにハイスペックを達成し、まさにワークスマシンといえる仕上がりだったたものの認可が下りず、64psという、以降のパワー自主規制のひとつの基準となる“抑えられた”数字だった。外観ではエアスクープやフロント、サイド、リヤの専用エアロアイテムなどでワークスであることを主張した。
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そして、1988年3月に3代目へとフルモデルチェンジを果たした世代にも、2代目のアルトワークスが設定されている。この世代はアルト自体2代目に対してホイールベースが160mmも伸ばされ、軽自動車中最長の2335mmとなったほか、スライドドア車やフルゴネット型のハッスルなど、意欲的なバリエーションが登場。当時はまだ名が残っていたフロンテも、6ライトのイタリア車のような5ドアのスタイルだったりと、なかなかのチャーミングぶりだった。