初代アルピーヌ「A110」の名前の由来は? バックヤードビルダーからWRC王者に至る伝説を振り返る (2/2ページ)

ハンドリングに秀でたライトウェイトスポーツ「A110」

 A110に進化したアルピーヌは、エンジンのチューニングなどはさまざまな仕様が存在しています。中心的なモデルとなった1300Sを引き合いに出すなら、エンジンはルノーR8用の直4 OHVをベースにしながらもモータースポーツのクラス分けで1001~1300ccクラスを有利に戦えるよう、クラス区分いっぱいの1296cc(75.7mmφ×72.0mm)までスープアップされていました。圧縮比を12.0に引き上げるとともに、ツインキャブを装着するなどゴルディーニの魔法により132psを絞り出しています。

 また、新たに採用したリヤサスペンションの効果も大きかったようで、無類のコーナリングマシンに昇華していました。サイズ的には全長×全幅×全高が、それぞれ3850mm×1450mm×1130mmで、ホイールベースは2100mm。そして車両重量はわずか625kgと軽く仕上がっています。このサイズ感は、現代の軽スポーツ「トヨタ・コペンGR SPORT」と比べると、全幅はほぼ一緒で全長は約450mm長いのですが、ホイールベースは130mm短く、車両重量も225kgほど軽量に仕上がっています。

 そんなA110は、それまで以上にモータースポーツ、とくに舗装のロードコースで戦われるターマックラリーで、その威力を発揮するようになりました。まだ世界ラリー選手権(WRC)開始前の1960年代からホームゲームともいうべきツール・ド・コルスなどではワークス契約の名手が小排気量ながら、縦横無尽の活躍を見せていました。そして1968年のツール・ド・コルスでは、ジャン-クロード・アンドリューがA110でアルピーヌに初優勝をもたらしています。

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ラリーシーンでストラトスと競り合い大活躍

 1970年代になると世界的なラリーシリーズが誕生します。それまで単独のイベントとして開催されていたヨーロッパ各国のインターナショナル・ラリーを中心に、1970年にはFIA国際マニュファクチャラーズ選手権(IMC)が始まりました。

 アルピーヌは、1970年はサンレモとアクロポリスで優勝しランキング2位となると、翌1971年にはモンテカルロなど5戦で優勝を飾り、堂々のチャンピオンに輝いています。残念ながら、1970年から1972年にかけて行われたIMCではツール・ド・コルスはシリーズに組み込まれていませんでしたが、1970年から開催されなかった1971年をはさんで1973年までA110は3連勝を飾っています。その1973年からはWRCが始まっています。

 記念すべき1973年のWRCにおいてアルピーヌは、全13戦中半数に近い6戦で優勝を飾り、2位のフィアットに大差をつけて初代チャンピオンに輝いています。1974年からは予算の関係からワークスがフル参戦することはなくなりましたが、ホームゲームのツール・ド・コルスのほかに数戦を選んで参戦しています。

 ただツール・ド・コルスに関しては、1974年はジャン-クロード・アンドリュー、1975年はベルナール・ダルニッシュと、2年連続でランチア・ストラトスが優勝。A110をドライブしたジャン-ピエール・ニコラは、2年連続で2位に甘んじることになりました。とくに1975年のツール・ド・コルスでは、24バルブ仕様で300ps、12バルブ仕様でも260psともいわれるフェラーリ製の2.4Lエンジンを搭載したストラトスを、1.8L/180psのA110が猛追。32秒の僅差で敗れはしたものの、ジャン-ピエール・ニコラの渾身のドライビングは、今も語り草となっています。

 そう、キーワードのふたつめ、「ツール・ド・コルス75」は、ジャン-ピエール・ニコラが渾身のドライビングを見せ、今も語り継がれるイベント、1975年のツール・ド・コルスにちなんだものでした。

 マスタード・イエローをベースにボンネットをブラックアウトしたカラーリングは、ル・マン24時間レースで優勝した「A442B」や、F1GPに初めてターボ・エンジンを持ち込んだ「RS01」にも受け継がれるアルピーヌとルノーにとっては忘れることのできない、モータースポーツ・ヒストリーにおける重要なカラーリングとなっているのです。

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