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5億2800万円! エンツォ最後のフェラーリ「F40」は「米国仕様」も高額プレ値が!! カッコ悪いバンパーも正規の証

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2022 Courtesy of RM Sotheby's

北米仕様であっても、F40の人気は格別か?

 今回RMサザビーズ「Monterey」オークションに出品されたフェラーリF40は、シャシーNo.#91097。1992年に米国に正規輸入されたわずか60台のうちの1台とされ、同社いわく近年販売に供されたF40の中でも、もっとも素晴らしい個体のひとつという。

「ロッソ・コルサ」のボディに、赤いジャージ素材の生地「ストファ・ビゴーニャ」を貼ったフルバケットシート。ともにF40の標準指定である組み合わせの#91097は、1991年9月に完成し、ウィンドウステッカーのコピーによれば、ニュージャージー州ニューアークに輸入。ペブルビーチの北に位置するカリフォルニア州シーサイドのモントレー・フェラーリによって翌10月に販売されたことが、F40の保証書に記されている。

 そののち、1992年1月にカリフォルニア州ヒルズボロ在住のファーストオーナーのもと初登録されたのち、現在のオーナーまで総計4人のフェラーリ愛好家のもとを渡り歩いてきたことが判っている。

 2020年2月には「フェラーリ・クラシケ」より、エンジンやギアボックスを含む主要なオリジナルのメカニズムが正しく保持され、装備も適切な純正仕様であることを明確にする「Certificato(真正性証明書)」を含む公式証明書「レッドブック」が公布された。

 さらにこのフェラーリ・クラシケが発行する整備記録簿「クラシケ・リブレット・マヌテンツィオーネ」が発行され、その際に正規工場が実施した整備スタンプも押されている。

 今回の提供に向けて、2022年2月に整備を受けたが、これはフェラーリ・ロサンゼルスからファイルされている請求書にも反映されている。このメンテの際には、ベルト類の点検・交換、フューエルインジェクターとオルタネーターのリビルド、新品ガスケットとリングを使ったバルブカバーの再密閉が含まれている。

 またフェイズセンサーの交換、センターロックホイールの締め直し、新品の燃料フィルターとスパークプラグの取り付けも行われた。

 このF40は、4人の歴代オーナーの優しいケアによって、カリフォルニア州内で長年大切に保有されており、オークションカタログ作成時の走行距離は9447マイル(約1万5200km)。Tubi社製エグゾーストシステムを装着し、ピレリ製P-Zeroタイヤを履いている。

 また、フェラーリ・クラシケ発行の証明書により、すべてナンバーマッチであることが保証されている。加えてポーチに入ったツールキット、ベージュのレザーポーチに入ったオーナーズマニュアルなどの付属品も完備。ウィンドウステッカーのコピーに保証書、最近の整備の請求書などもすべて添付されている。

かつてないほどの高額落札

 この極上のフェラーリF40に、RMサザビーズ北米本社と現オーナーは250万ドル~290万ドルという、かなり強気のエスティメート(推定落札価格)を設定していた。ところが実際の競売ではビッドがどんどん進み、終わってみれば385万5000ドル(邦貨換算約5億2800万円)という、驚きの価格で落札されることになったのだ。

 円安の続く日本円換算ではことさらに驚いてしまうが、そもそもの落札価格自体も過去最高クラスのもの。かつては、前後のスポイラー継ぎ目に厳ついラバー製バンパーが取り付けられたUS正規バージョンは、同じF40の中でも敬遠されがちだったと記憶しているものの、新車時のオリジナリティが何よりも重視されるとともに、マーケットの高騰状態が再燃しつつある現在においては、たとえかつての不人気仕様であってもコンディションや来歴のたしかなF40には、然るべき評価が下されることを証明したともいえるだろう。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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