クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • 「カウンタック」になくて「ベルリネッタ・ボクサー」にあるものとは? 29台のみのフェラーリ「512 BB/LM」は億単位のプライス!
CLASSIC
share:

「カウンタック」になくて「ベルリネッタ・ボクサー」にあるものとは? 29台のみのフェラーリ「512 BB/LM」は億単位のプライス!

投稿日:

TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2022 Courtesy of RM Sotheby's

アメリカ国内で、輝かしいレースヒストリーを構築

 RMサザビーズ「モントレー」オークションに出品されたフェラーリ512 BB/LMは、アメリカ国内で輝かしいレース歴を誇るとともに、マッチングナンバーの真正性も備えているという。

「フェラーリ・クラシケ」のレッドブックによると、シャシーNo.#29511は1979年11月に完成し、ロッソ(赤)の塗装とネロ(黒)のクロス内装が施されていた。29台中13番目に製造されたこの512 BB/LMは、スペアのレーシングエンジン(社内番号034)を搭載し、ニューヨーク州スプリング・バレーのディーラーへ納品された。

 翌1980年初頭、ニューヨーク州でクラシック・フェラーリをコレクションするとともに、レース活動も行っていたさる兄弟のもとに納められ、1982年5月のブリッジハンプトンでの「フェラーリ・クラブ・オブ・アメリカ」のリージョナルミーティングから、長いレース参戦ヒストリーを開始することとなる。

 1984年シーズンからは、本格的にIMSA選手権レースへと参戦。FIA選手権でいえば「グループC」に相当する「IMSA-GTP」マシンたちには及ばないものの、ライムロックやワトキンス・グレンなどのコースで複数の入賞を獲得している。

 そのクライマックスとなったのは、経験豊富なIMSAドライバー、ドン・ウォーカーを一時的にチームに迎え入れ、総合16位、クラス9位という素晴らしい成績を収めた1985年2月のデイトナ24時間レースだろう。これは512 BB/LMがデイトナで記録した最高の成績であった。

 その後、一線を退いたシャシーNo.#29511は、複数のオーナーのもとヴィンテージカーレースやクラブイベントなどで出走したのち、20世紀末の10年間は倉庫に眠っていたとされる。しかし2000年代に入ると再び日の目をみて、2000年8月にロード・アメリカで開催された「シェル・フェラーリ・ヒストリックチャレンジ」や、2008〜2009年にはラグナ・セカの「モントレー・ヒストリックレース」にも連続出場している。

 そして、2011年末にこのフェラーリを譲り受けたオーナーは、入手直後にフェラーリ・クラシケの認定を申請。すぐにレッドブックが発行され、主要なメーカー純正装備のマッチングナンバーの機械部品がすべて継続して存在することが確認された。その後、ワシントン州シアトルのフェラーリ・スペシャリストに委託され、オリジナルカラーへのリフィニッシュを含む包括的なレストアが行われたという。

 この512 BB/LMは、過去11年間で「カヴァリーノ・クラシック」に4回出展。2014年には関連レースの「トロフェオ・ディ・フロリダ」で優勝も果たしている。また、2014年10月にビバリーヒルズで行われた「フェラーリ・ノースアメリカ60周年」記念式典と、2017年8月にペブルビーチで行われた「フェラーリ70周年」の記念式典にも参加した。

* * *

 アメリカで輝かしいレーシングヒストリーを築き上げたフェラーリ512 BB/LMが、アメリカでもっとも重要なオークションに出品されるということもあってだろうか、RMサザビーズ北米本社は280万ドル~300万ドル(邦貨換算約3億9000万円〜約4億1800万円)という高額のエスティメート(推定落札価格)を設定したものの、残念なことに実際に行われた競売では、最低落札価格に届くことなく流札。現在では「継続販売中」となっている。

 ただしこのエスティメートは、現在の国際マーケットにおけるフェラーリ512 BB/LMとして、高すぎだったとは思わない。例えば「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」のヒルクライムに招待されることも夢ではないこの個体ならば、億単位の価格であっても妥当とするのが、現在の国際マーケットにおける評価なのである。

12
すべて表示
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
著者一覧 >

 

 

 

 

 

ranking

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

ranking

AMW SPECIAL CONTENTS