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日産「マッチのマーチ」の系譜が終了! 「スーパーシルエット」から全日本ラリーまでホットハッチとしての初代の活躍を振り返ろう

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/日産自動車/AMW

160psまでパワーアップした1台だけの「スーパーシルエット」

 初代マーチはサブコンパクトのリッターカーでしたが、軽量ボディを武器に、ベースモデルでも軽快な走りを見せていました。さらに「ターボ」や「R」、「スーパーターボ」などのハイパフォーマンスモデルが続々登場し、ホットハッチとしての名声を築いていくことになっていき、モータースポーツに関連した数多くの話題を振りまいたのです。

 その最大のものは、やはり1982年に登場した「マーチ・スーパーシルエット」でしょう。これは初代マーチのCMキャラクターを務めた歌手で俳優の近藤真彦さん、通称「マッチ」のために日産がワンオフで製作したレーシングカー。当時、スカイラインやシルビア、ブルーバードの「スーパーシルエット3兄弟」が参戦して人気を呼んでいたグループ5レース仕様に仕立てたボディに、兄貴分のパルサーに搭載されていたエンジンをチューニングし、ベースユニットの95psから160psにまでパワーアップしたE15型改を搭載していました。

 実際にレースに参加することはありませんでしたがマッチ人気も相まって、NISMOフェスティバルでは今も人気です。また「日産マーチカップ」と銘打ったワンメイクレースが開催されていたことも大きなエポックとなっていました。

モータースポーツで話題沸騰、全日本ラリーでも王者に

 一方、現実的なレーシングモデルとしては先に紹介したマーチRの存在が印象的でした。マーチ・ターボを投入した後に投入されたマーチRですが、ターボチャージャーにスーパーチャージャーを組み合わせたダブルチャージングシステムは、ターボが苦手とする低回転域ではスロットルにリニアな感覚で回転が吹き上がるスーパーチャージャーを使い、より高回転域ではターボチャージャーが威力を発揮する、という考え方で開発。具体的にはターボが効き始めるとスーパーチャージャーへの吸気を絞っていき、4000回転付近でスーパーチャージャーの作動を完全に停止するというものでした。

 また低回転域でのレスポンスを、通常のターボモデルほどには気にしなくてもよくなったことで、ターボ自体もタービン径やコンプレッサー径を、マーチ・ターボよりも大型化していました。またボアを2.0mmφだけ狭くしてまで排気量を縮小したのは、モータースポーツ参戦を考えてのことでした。

 1Lでノンターボのマーチも全日本ラリー選手権で活躍し、1986年と1987年には2年連続で1000cc以下のAクラスでチャンピオンに輝いていました。その1987年シーズンからクラス分けの区分が変更になりBクラスは1600cc以下、Cクラスは1601cc以上となったことで、日産は1600cc以下のBクラスにターゲットを定めてマーチRを開発したのです。

 当時の全日本ラリーにおけるターボ係数は当時1.4でしたが、世界的にはターボ係数が1.7に引き上げられており、国内ラリーでもこれに倣って1.7に引き上げられることが予想されていました。そこでターボ係数が1.7に引き上げられても1600ccクラスで戦えるように、と排気量が987ccから930ccに引き下げられていたのです。モータースポーツを知り抜いていた日産ならではの作戦でした。

 そして日産の期待通り、デビュー戦となった1988年の第6戦・モントレーで見事デビューウィンを飾っています。ただし全7戦中の6戦目でデビューしたこともありタイトル争いは翌シーズンに持ち越すことになりました。そして迎えた1989年シーズンは、マーチRをドライブした島田親吾選手が見事チャンピオンに輝いています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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