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モノづくりにおいて満足したら終わり。ずっと渇望しているのがいいんじゃないかな【藤壺技研工業 藤壺政宏代表取締役社長:TOP interview】

モノづくりにおいて満足したら終わり。ずっと渇望しているのがいいんじゃないかな【藤壺技研工業 藤壺政宏代表取締役社長:TOP interview】

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TEXT: AMW 西山嘉彦(NISHIYAMA Yoshihiko)  PHOTO: 横澤靖宏

ヨシムラでの修行時代

ところで、ヨシムラでの修行を終えて藤壺技研に入社することになる藤壺氏だが、そもそもマフラーに対しての思い入れはあったのだろうか。

「いいえ、それほどでも。ヨシムラにいるときも、『どうせお前、戻ったらマフラーはいくらでもできるだろう』ということで、マフラーには一切触れさせてもらえませんでした。当時は単純にエンジンをやってました。『どうせ帰ってもマフラーしかやることないんだから、違うこと学んで行け』って。このあたりは、まあ、贔屓目に見てくれていたんですよ。普通だったらいきなりエンジンなんて触らせてくれませんから」

ヨシムラでは、「GSX−R1100」「KATANA」などのエンジンを担当。あとヨシムラで製作していたマツダ「NAロードスター」のコンプリートカーのエンジンも担当していたそうだ。それはもう、何機組んだかわからないほどという。バランスどりしただけで、15〜20psパワーアップするのが面白かったと語る藤壺氏だが、繊細な仕事をヨシムラで叩き込まれた時代でもあった。こうしたエンジンをバラして直に触れたということが、いまのマフラーづくりに生かされているのだろうか。

「もちろん、すごく影響してます。仕事の自信がつきましたね、一番は。今でも出来るか? わかりませんが、素組しただけでパワーを上げる自信はあります。そうした自信を持って製品開発などにも発言もできるようになったんで、自分に自信がついたことが一番大きいかもしれませんね。ただ、藤壺技研に入った当初はショック受けましたよ。ヨシムラでミクロン単位の仕事をしていたのに、藤壺技研ではミリ単位の仕事になりましたからね。ヨシムラにいた時から考えると、自分にとっては粗い仕事に映ってしまったんです。それはいまだにそう思いますね。しかし、ミクロン単位の仕事って、マフラーには求められないんです。溶接ひとつで変わっちゃうし。新品でいくらすごい精度のマフラーを作っても、エンジンかけたら熱変形&熱膨張で変わってしまいますからね」

エンジンならではの感覚を大事に、これからも続けます

藤壺技研に入社してからは、横浜の開発部でエキマニを組んだり、東京支店では広報に携わったりしていた藤壺氏。27歳の時には渡米し、現地で広報のような役割を3年ほど担っていた。そうしたアメリカのクルマ文化も直接目にしてきた藤壺氏は、今後のマフラー業界をどのように見ているのだろう。

「EV化してしまったら、マフラーに関わる仕事がなくなってしまうでしょう。でも冷静に考えたらマフラーだけじゃなくて、オイルもエンジンパーツの業界もそうですよね。これは大変なことだなと思います。そこで思い出されるのが、現トヨタ会長の章男さんが言ったことですよね。業界も色んな人のためにこうした産業を残さなければダメだという、ね。エンジンならではの、あの臭くてウルサイのが好きだという感覚。僕らもそうなんですよ。きっと横浜の峠を走っていた頃から、ね。僕はそういう思いでいまやっているので、その感覚は大事にもって仕事しなければならないと覚悟してます。

もちろん、きっとそうした感覚が根付いて残っていくような気がしますね。それがいまの、80年90年代のクルマが盛り上がっていることに繋がっていると思います。やっぱり今のクルマって、手を付けられなくなっているんですね。それに、エンジン組んだりしたい人ばっかりじゃないですか、ここ(NAPAC走行会)に集まっている人たちって。自分ももともと自分でエンジンを組みたいという思いがあるし。自分でエンジンを触って、こうなったらこう変化するんだとか、そういうのを知れたほうが、僕らの年代もそうですけど若い子もこれからクルマに乗る人達もきっと楽しいでしょう。そうしたクルマの業界が残ってくれると嬉しいなと思いますね」

では、藤壺技研としてマフラーづくりのどこにこだわっているのだろうか。

「マフラーづくりのメインテーマってないです、会社として。それよりもクルマの個性に合わせて、それぞれ合わせていくという感じです。コンプライアンスについてもそう、開発メンバーが色々チャレンジして製作して、最終的に僕も含めてみんなで評価して、『よしこれで行こう』となるんです。音についてもそうですし、意匠面についても同様です。ただ昔から言われているのが『藤壺のマフラーはポンとつく』。当たり前のことなんですけど、なかなか簡単に装着できるマフラーはないと言われるので、嬉しいですね」

モノづくりにおいて、渇望し続けなければならない

藤壺技研はNAPACに加盟しています。そこで意識していることは?

「今日の走行会なんかも、僕らはNAPACとして集まってやっています。走行会の大きな目的は、継続的にカスタマーが楽しめるようにすることと、あと業界もきちんと維持できるようにということがありますよね。でもそのためには、認証とか今後のコンプライアンスに則って楽しめるように製品をつくらなければならないと思っています。NAPACとしてもっとそれを団結して、JASMAも新たに加わったことですし、今まで以上にノーマルのクルマだけでなくて、クルマをいじる楽しさを理解してもらって楽しんでもらいたいと思いますね」

最後に、AMW読者へメッセージをお願いします。

「商売っぽくなりますけど、ぜひマフラーも一度交換してみて、乗ってもらって、音が変わったことによる高揚感を経験してもらいたいです。最近はもうパワーだけじゃないと思うんですよ、マフラーに求めるものって。ドレスアップの面も大切ですし。今ならバルブ付きのマフラーもあるので、静かなところではそれでもいいし、ちょっと気持ちの良いところに行ったら、バルブをオンにして開けて、サウンドを聞きながらの走りを楽しんでもらいたいですね」

* * *

二輪の世界からは離れてしまった藤壺氏だが、現在でも毎年モーターサイクルショーには足を運んでいるという。その理由は、お世話になった吉村不二雄氏に会いに行くことと、四輪とは違うレベルでの精度で作られた二輪の製品を直に見て触れて、刺激を受けるためだという。

モノづくりにおいて、「満足したら終わりじゃないですか。ずっとそうやって渇望しているのがいいんじゃないかな」と語る藤壺氏。実はこれも、エンドレスの創業者で今年他界した花里功氏から教わったことでもあるという。先輩をリスペクトする姿勢、それもまた、現在の藤壺氏の人柄を示す大切なファクターなのだろう。

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  • AMW 西山嘉彦(NISHIYAMA Yoshihiko)
  • AMW 西山嘉彦(NISHIYAMA Yoshihiko)
  • AMW編集長。大学卒業後、ドキュメンタリー映像の助監督を経て出版業界へ。某建築雑誌の版元で編集技術をマスターし、クルマ系雑誌編集部のある版元へ移籍。その後、版元を渡り歩きながら興味の赴くままにカメラ雑誌、ガレージ雑誌、グラビア誌のほかにBMWやランボルギーニの専門誌などを立ち上げ、2017年までスーパーカー専門誌の編集長を務める。愛車はBMW E30 M3。日本旅行作家協会会員。兼高かおる賞実行委員。近況は、個人ブログ「ART LIFE mag.」にて。
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