現在のカラー・コンビネーションは出荷時と同じ
2024年10月26日にRMサザビーズが米国ロサンゼルスで開催した「ザ・ルディ・クライン・コレクション」オークションにおいてランボルギーニ「ミウラP400S」が出品されました。ボロボロの状態で登場したシャシーナンバー「4070」のミウラP400Sは、エンジン、ボディともにナンバーマッチングも完璧な1台でした。
3台のミウラが放出されたザ・ルディ・クライン・コレクション
オンラインでも開催されたRMサザビーズの「ザ・ルディ・クライン・コレクション」。「ザ・ジャンクヤード」という別タイトルが掲げられていたことからも想像できるように、このオークションは、カリフォルニアのコレクター、ルディ・クライン氏が1967年から収集し始めた、自動車やパーツのジャンクを一斉に放出。これまでには例のない、じつにマニアックなイベントだった。
その中でも注目されたのは、これまでその行方が定かではなかった3台のランボルギー「ミウラ」がここで発掘されたこと。クライン氏はそのジャンクの姿を、ほとんど誰にも見せることなく、ひっそりとヤードの中で保管していたからだ。
すでに2台の「ミウラP400」、すなわち最も初期の世代に相当するミウラは紹介しているが、今回もう1台オークションに出品されたのは、1969年式の「ミウラP400S」。多くの人にとって、いわゆるスーパーカーの誕生を告げるものであった、ランボルギーニ ミウラ。
1966年のミウラ誕生以前にも、もちろん信じられないようなパフォーマンスと、一部の特権階級のための特別性を主張したクルマは数多くあった。だがミウラのようなクルマは残念ながらそれ以前には存在しなかったといってもよい。ミウラは圧倒的なパフォーマンスとスピードだけではなく、衝撃と畏敬を与えるデザインと技術革新という、じつにスリリングなコンビネーションを提供したモデルだったのだ。
ガンディーニによる美しいボディにV12を搭載
その流麗にして独特なボリューム感を演出したボディは、当時ベルトーネのチーフスタイリストに抜擢された直後だったマルチェロ・ガンディーニによって描かれ、また開発チームには、長いキャリアの最初期にミウラに携わる機会を得た2人の優秀なエンジニア、ジャン・パオロ・ダラーラとパオロ・スタンツァーニの姿があった。V型12気筒エンジンをミッドシップするという基本設計は業界に革命をもたらし、フェラーリを含むほかのライバルメーカーも、ランボルギーニに対抗する競争力を得るために、すぐにそれに追従することになった。






















































































































































