カントリー・ミュージックの聖地ナッシュビル
2024年の8月末から、アメリカをミシシッピ川沿いに南北縦断して音楽の歴史をたどる旅に出ることにした筆者。ニューオリンズでダッジ「デュランゴ」をレンタルして、ブルースの故郷である「ミシシッピ・デルタ」を仲間と4人で巡りました。旅の後半はひとり旅。ハーツレンタカーで借りたキア「スポーテージ」を“キムさん”と名づけて、ミシシッピ川流域を北上。テネシー州メンフィスを訪れた後は、州都のナッシュビルへやって来ました。
圧巻のカントリー・ミュージック殿堂博物館
メンフィスがリズム&ブルース、ソウル、ロックンロールなど黒人音楽の中心なら、ナッシュビルは白人音楽、カントリーの都だ。
カントリーのルーツは、アパラチア山脈に住み着いたスコッチ・アイリッシュにさかのぼる。彼らは、迫害され貧しい生活を強いられたが、いつもギターを弾いて故郷の民謡を歌っていた。いつしか彼らは「丘に住む陽気なヤツら」と蔑視され、「ヒルビリー」と呼ばれるようになった。
20世紀に入るとヒルビリーの音楽はブルースと出会い、洗練されて都会的な歌詞を与えられて生まれ変わった。それがカントリー・ミュージックだ。カントリーはアパラチアからケンタッキーに下り、さらにテネシー州ナッシュビルで音楽ビジネスとして大成功を収めた。
2001年に完成したカントリー・ミュージック殿堂博物館は、ナッシュビル市街地の中心に誇らしげに建っている。まさに市のプライドを感じさせる巨大な建造物だ。もちろん、建て物だけではない。博物館としての充実度も最高。正直、これほど豪華で豊かな展示は見たことがない。それはアメリカにおけるカントリーの根強さの証明でもある。
2025年にグラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞したビヨンセの「カウボーイ・カーター」、さらには2023年の最優秀楽曲賞、ボニー・レイットの「ジャスト・ライク・ザット」もカントリー色が強かった。今をときめくテイラー・スウィフトも、当初はナッシュビルで見出されたカントリー・シンガーだった。
カントリーは日本の演歌のように年寄りの哀愁と思われがちだが、じつはアメリカでは巨大なマーケットが存在している。
ダウンタウンは人、人、人!
カントリー・ミュージック殿堂博物館と並ぶ聖地が、グランド・オール・オプリだ。本来はカントリーを流していたラジオ番組の名称だったが、公開放送を行うホールも同名で呼ばれるようになった。この番組に出演することがスターへの登竜門だった時代も長かった。日本での知名度はイマイチだが、アメリカでは知らない人はいない。
現在、グランド・オール・オプリは、ナッシュビル郊外のオープリー・ミルズ・モールにある。驚くことに1925年に始まった番組は今も健在で、アメリカ中から多くの人が訪れる。館内のツアーもあるそうだが、今回は外観だけの見学にした。
多くの人が訪れる、といえば、驚いたのがナッシュビルのダウンタウンだ。ものすごい数の観光客が、真っ昼間からぞろぞろとメインストリートを歩いている。もちろん、お目当てはライブ・ミュージックとグルメだ。その人の数はニューオリンズやメンフィスを軽く凌いでいる。それほどにこの街は魅力があるのだ。
ぼくもよさそうな店に飛び込んで、カントリー・ロックの演奏と食


































































