ニキ・ラウダもテスト走行した個体ながら…
このほどRMサザビーズ「PARIS 2025」オークションに出品されたBMW 3.0CSLは、このモデルとしてはもっとも初期に製作された1台だったと目されている。
当時、欧州ツーリングカー選手権(ETC)制覇を目指していたBMWは、イギリスのレースチームとエンジニアリング会社である「ブロードスピード(Broadspeed)」と委託契約を結び、FIAグループ2スペックの新型3.0CSを開発することにした。ブロードスピードに課せられた条件は、ETC選手権における最強のライバルと言われたフォード「カプリRS2600」よりも2パーセント速く周回することだったといわれている。
1971年9月、ブロードスピード社に2台のE9のプロトタイプが納入される。しかし、真のCSL仕様に生まれ変わったのは、このシャシーNo.2211343の1台だけだった。
ブロードスピードは、同じく英国の「クーパー・カー・カンパニー(Cooper Car Company)」の協力のもと車体の剛性を高めるとともに、より軽量なアルミニウム製のドア、ボンネット、トランクリッドを装着し、ガス封入式のビルシュタイン製ダンパーを装備。
仏ポール・リカール・サーキットでの冬季テストに備えたが、元フォード・ドライバーのジョン・フィッツパトリック(1966年英国サルーンカー・チャンピオン)とBMWワークス・レーサーであるディーター・クエスターのラップタイムが、ともにフォード・カプリには及ばなかったため、契約は急遽終了となってしまう。
しかし、ブロードスピードはこのプロジェクトを自主的に継続し、のちに3度のF1世界チャンピオンに輝くニキ・ラウダが、シルバーストーンでテスト走行を行った。1972年7月号の「Motor Sport Magazine」誌によると、ラウダは自身が所有していた当時のF2マシンを引き合いに出しつつ、ブロードスピード製の3.0CSLを高く評価している。
BMWモータースポーツの象徴となったカラーリングの第1号車だった?
ブロードスピードは1972年4月、雪のザルツブルグリンクで開催されたヨーロッパ・ツーリングカー選手権に、シャシーNo.2211343を初投入。その後ミュンヘンのファクトリーに戻され、ブルー/パープル/レッドのストライプでリペイントされることになった。今やBMWモータースポーツの象徴となったカラーリングに仕上げられたのは、この車両が最初だったと考えられている。
1973年6月、カリフォルニア州ハーモサ・ビーチの「ヴァセック・ポラック(Vasek Polak)チーム」に売却され、BMWサービスアドバイザーのブルース・ポンダーのドライブにより、複数のツーリングカーレースに参加した。いわゆる「バットモービル」スタイルに改装されたのは、このアメリカ時代のことと思われる。
その後、この3.0CSLの足どりはいったん途絶えることになるが、1999年にスウェーデンのマルモエに移されたことで、再び表舞台に現れる。そして、FIAのクラシック公認証を取得して2002年の「ル・マン・クラシック」に出場したのち、2008年にドイツを拠点とする現在のオーナーに譲渡された。
RMサザビーズ欧州本社は
「すべてのレーシングCSLの父であるシャシーNo.2211343は、BMWモータースポーツの歴史において非常に重要なピースであり、それゆえに説得力のあるバックストーリーを誇っている」
というアピール文で称えるとともに、50万ユーロ~65万ユーロ(邦貨換算約8050万円〜1億465万円)という、当時モノのレーシング3.0CSLとしては比較的控えめなエスティメート(推定落札価格)を設定した。
ところが迎えた2月4日の競売では、締め切り段階に至ってもリザーヴ(最低落札価格)に届くことなく、残念ながら流札に終わってしまった。






























































































