ディランが育ったヒビングは「最果ての寂しい町」
ディランの生家に関しては、ネット上の不確実な情報以外に何もない。そこに書かれていた番地をGoogleマップで探すと、1軒の瀟洒な家があった。もちろん、看板も何もない。とりあえず写真を撮って、急いで“キムさん”の運転席に乗った。まだ、先は長い。
次の目的地はミネソタ州ヒビングだ。ディランはこの町に6歳のときに移り、高校卒業までを過ごした。「ヒビングはどんなところだった?」と訊かれ、彼は「最果ての寂しい町だ」と答えている。
かつては鉄鉱石の採掘で栄えた時期もあったようだが、ダウンタウンにはまさに最果ての雰囲気が漂う。頼みの綱だった図書館も日曜で休館、すれ違った人に「ボブ・ディランについて探しているんですが」と話しかけたが、首を横に振られてしまった。
仕方なく、営業している唯一のバーに入ってビールとシーザーサラダを注文してひと息つくことにした。この日の宿は、ダウンタウンからほど近いAirbnbを予約してあった。
ディランが幼少期を過ごした家の中へ!
2杯目のビールをオーダーするついでに、ダメもとでバーテンにディランについて何か知らないか、尋ねてみた。すると、なんと「彼の家はすぐそこですよ」という。「え、ホント!?」と驚くと、「ハウス・ツアーをしている人がいますよ」というではないか! これは何という幸運!
紙ナプキンに書いてもらった電話番号をダイヤルすると、「今からでもいいですよ。どうぞ来てください」という答え。あわててビールを飲み干し、シーザーサラダを「晩ごはんを食べに来るから冷蔵庫に入れておいて」と頼み、現地に直行した。
迎えてくれたビルはディランに関する有名なコレクターで、この家とダルースの生家を所有しているそうだ。家はオリジナルに近い状態で保たれ、地下室は小さなミュージアムに改装されていた。「北国の少女」のモデルになったというガールフレンドの写真があったが、小太りのうえ後ろ姿の仁王立ちで、思わず笑ってしまった。
「いろいろな国の人が来たけど、日本人は君が初めてだ」と言われたのがうれしかった。なんとか今日も充実した日が送ることができた。ビルと握手をして別れ、宿へと向かった。
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このミシシッピの旅で筆者が取材した内容を1冊にまとめた本が2025年3月13日に発売となった。アメリカンミュージックのレジェンドたちの逸話とともに各地を紹介しているフォトエッセイ、興味のある方はぜひチェックを。
>>>『アメリカ・ミシシッピリバー 音楽の源流を辿る旅』(産業編集センター)
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