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輝かしい経歴をもつ激辛なフィアット アバルト「1000TCR」!20年以上の日本人オーナーが溺愛する個体とは

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: AMW 米澤 徹(YONEZAWA Toru)

  • フィアット アバルト1000TCR:センターはタコメーター、右にスピードメーターが備わる
  • フィアット アバルト1000TCR:バケットシートはホールド性が高い
  • フィアット アバルト1000TCR:軽量化のために、片方のモーターを排除したパラレルリンクワイパー
  • フィアット アバルト1000TCR:サイドミラーは最小限の後方を確認できる程度
  • フィアット アバルト1000TCR:リアシートは撤去。ロールケージが張り巡らせる
  • フィアット アバルト1000TCR:ルーフのブルーの市松模様は、ステッカーではなく塗装だ
  • フィアット アバルト1000TCR:OHVながらクロスフロー+半球形燃焼室の専用ヘッドを持つエンジン
  • フィアット アバルト1000TCR:ボディのサイドラインも塗装がされている
  • フィアット アバルト1000TCR:幅広タイヤを収めるためにFRP製のフェンダーが装着された
  • フィアット アバルト1000TCR:ウインドウは軽量化のためにスライド式
  • フィアット アバルト1000TCR:ダッシュパネルには、元F1パイロットのヤン・マグヌッセン選手のサインがあった
  • フィアット アバルト1000TCR:Gr.5シルエットフォーミュラを連想させるボディを持ち、目論見どおりETC選手権ほか、あらゆるレースを席巻した
  • フィアット アバルト1000TCR:現役時代には有力チームのもとでレースに活躍した1台
  • フィアット アバルト1000TCR:快音を轟かせながら走行していた
  • フィアット アバルト1000TCR:エンジンフードはクーリングを助けるために水平に開いていた
  • フィアット アバルト1000TCR:フィアット アバルト1000TCR:快音を轟かせながら走行していた
  • フィアット アバルト1000TCR:元ワークスカーや名門サテライトチームカーなど、いずれも素晴らしい経歴の3台が揃うのは、本当は驚く
  • フィアット アバルト1000TCR
  • フィアット アバルト1000TCR:快音を轟かせながら走行していた
  • フィアット アバルト1000TCR:フロントに配されたラジエターとオイルクーラー
  • フィアット アバルト1000TCR:カンパニョーロ製のエレクトロンホイールを装着
  • フィアット アバルト1000TCR:フィアット アバルト1000TCR:カンパニョーロ製のエレクトロンホイールを装着。リアは1サイズ拡大されたホイールが組み込まれた
  • フィアット アバルト1000TCR
  • フィアット アバルト1000TCR
  • 小笹博大さんとフィアット アバルト 1000TCR」

アバルト伝説の魔改造マシン「1000TCR」

日本で権威の高いアバルトの愛好家クラブ「クラブ・アバルト・ジアッポーネ」のメンバーは、素晴らしい車両を取り揃えています。今回は歴代「フィアット アバルト」のなかでも、もっともアイコニックなモデルのひとつである「1000TCR」を紹介。正式名称「1000ベルリーナ コルサ ラディアーレ」を、23年間にもわたって愛用し続けているというオーナーさんからもお話しを伺いました。

異常進化を遂げたアバルトのイル・モストロ(怪物)とは?

「ETC(欧州ツーリングカー選手権)」に代表される1960年代のツーリングカーレース用に開発された「フィアット 600」系アバルトはさまざまな発展モデルを有する。なかでもそれらの究極形となった「1000ベルリーナ コルサ ラディアーレ」。通称「1000TCR」は、OHVながらクロスフロー+半球形燃焼室の専用ヘッドを持つエンジンや、前後とも専用開発の足まわり、そして後世のGr.5シルエットフォーミュラを連想させる「イル・モストロ(怪物)」へと異常進化を遂げる。

エンジン片側に吸・排気マニフォールドが並ぶ従来型のカウンターフローに比べ、右側から吸気し、左側に排気するクロスフローの「ラディアーレ」ヘッドは明らかに燃焼効率が優れるうえに、スペースの問題から不可能だった大径のツインキャブレターも装着できるなど、パワー追及には非常に有利なヘッドだった。

このエンジンで、110ps以上のパワーを手に入れた1000ベルリーナ は、以前にも増して強力なレーシングマシンとなった。もちろん、このままのチューニングでは当時(1967)のFIA「グループ2」のホモロゲートは不可能で、1968-1969年シーズンは特殊ツーリングカーの「グループ5」にホモロゲートされることになるものの、1968年からはETC選手権の対象がグループ5に適用されたことも、アバルトには好都合な追い風となった。

1968〜1971年までETC製造者部門タイトルを守り続けられた実力

こうして1968‐1969年シーズン、アバルト・ワークスは2年連続で製造者部門タイトル、さらに1969年シーズンにはドライバー部門タイトルも獲得というWタイトルを実現する。

そして1970年シーズン以降のETCは、再びグループ2で争われることになるのだが、この新レギュレーションで「ラディアーレ」搭載車もグループ2にホモロゲート、しかも前後フェンダーの拡大やリアのサスペンションアーム材質の変更までも許されることになった。これにより、車名も変わり1000ベルリーナ コルサ ラディアーレからフィアット アバルト1000ベルリーナ「ラディアーレ」グループ2となった。

有力プライベートチームにも販売が始まった1000ベルリーナ「ラディアーレ」グループ2仕様車は、1970年シーズン開幕とともに全欧のサーキットを舞台として大活躍を始めるが、その一方でワークスの参戦は激減していた。

それでも有力プライベーターの活躍も併せて1970‐1971年シーズンもETC製造者部門タイトルを守り続けたのは、このマシンの高性能ゆえのことであろう。

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