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2025年8月12〜13日、米カリフォルニア州モントレー半島で開かれた「モントレー・カー・ウィーク」の目玉オークション「Monterey Jet Center」に、1989年型ランボルギーニ「カウンタック」25周年記念車が登場しました。創業25周年を祝しオラツィオ・パガーニが手掛けた最終進化形で、元WWE(アメリカのワールド・レスリング・エンターテインメント)王者ジョン・シナ氏が所有した個体でした。
「ふたつめの雷」カウンタックをパガーニがモディファイした創業25周年記念車とは?
革新的なスーパーカー「ミウラ」で世界を震撼させたランボルギーニは、1971年にカウンタックを発表した。「雷が2度落ちることもある」と証明したのである。
1980年代の終わりとなっても、カウンタックはスーパーカー界の頂点に立ち続けていた。しかし、時代の変化は避けられず、新たな10年に向けて当時の親会社クライスラーのもとで、ランボルギーニは次なる章への準備を進めていた。
カウンタックの後継車ディアブロは1988年までに設計され、生産準備もほぼ整っていた。ところが、北米クライスラーの幹部たちがその初期設計に納得せず、その発売は18カ月延期となってしまう。
それでも、その間にランボルギーニ首脳陣は、カウンタックの最終的かつ決定的な進化を指示した。スタイリング変更の重責は、当時ランボルギーニに所属していた新進気鋭のエンジニア、オラツィオ・パガーニ(後に独立してハイパーカーメーカーのパガーニを創立)に委ねられる。
1987年、軽量素材とモータースポーツ由来のパフォーマンス革新のテストベッドとして機能した高度なプロトタイプ「カウンタック・エヴォルツィオーネ」の開発を主導したパガーニは、そのビジョンを既存のLP5000 クアトロヴァルヴォーレ(QV)に適用した。厳しい時間的制約がありながらも、彼はのちにランボルギーニ社の創業25周年記念エディションとなるモデルを開発する。そしてランボルギーニは、1988年9月にカウンタック25thアニバーサリーを発表した。
LP5000 QVに比べて約5000の変更が施されたカウンタックの最終形態には、パガーニ主導で広範なデザイン強化が施された。特徴的なリアエアインテークは、空気の流れを改善するために拡大された。フロントとリアのバンパーは再設計および拡張され、エンジンカバーは単一の中央に隆起したスタイルに変更された。
一方、インテリアも大幅に近代化され、ドアシルには蓋つきの収納箱が設置された。シートはより豪華な電動リクライニング式にグレードアップされている。ギヤレバーの後ろに集中した電動ウインドウスイッチが採用されたうえ、より強力なエアコンと優れた遮音性も盛り込まれている。
パワートレーンは5000 QVから不変である。カウンタック史上初めて正規に用意された北米仕様では、燃料噴射装置との組み合わせで420psを発生する、5.2L DOHC48バルブのV12ユニットを搭載していた。














































































































































































































