海の心臓V8エンジンはなぜ生き残るのか
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題は「海の世界のV8エンジン」。電動化が進む自動車業界とは対照的に、海の世界ではいまもV8エンジンが主役です。主要メーカーは、依然としてガソリン船外機をフラッグシップに据えています。重いバッテリーでは船が浮かばない、充電設備が整っていないなど、電動化には海ならではの壁があるからです。海上におけるV8エンジンの優位性とは?
船の重量と充電インフラの根本的な課題
自動車業界では電動化が急速に進み、内燃機関は過去の遺物と見なされつつあります。しかし、海の世界では事情がまったく異なります。現在でも主要な船外機メーカー──ヤマハ、スズキ、ホンダ、そしてアメリカのマーキュリーなどはいずれもガソリンエンジンを主力とし、とくにV8エンジンが依然として“頂点”に君臨しています。
価格的な優位性もあり、販売台数の点ではコンパクトなエンジンが主流ではありますが、フラッグシップの点ではV8が存在感を発揮しているのです。電動化の流れが強まる現代にあって、なぜV8は生き残っているのでしょうか。
ボートはクルマと異なり、重量の増加が直接浮力の低下につながります。現在主流のリチウムイオン電池は、1kgあたりのエネルギー量がガソリンの40分の1程度しかありません。つまり、ガソリン100L分のエネルギーを蓄えるには、数トンのバッテリーが必要になる計算です。これでは船が重くなりすぎて浮かばないか、航続距離が極端に短くなってしまいます。
EVの普及を支えるのは充電ネットワークですが、海上や港湾ではそのような設備はほとんど整っていません。マリーナの多くは電源容量が限られ、複数艇の急速充電には対応できないのが現状です。
実際、ヤマハが2023年に発表した電動船外機「HARMO」も、航続時間はおおむね1時間程度で、港内や湖での使用を想定しています。つまり、電動船外機はまだ“限定的な環境下での選択肢”に過ぎないのです。
持続的な高出力と故障時の冗長性への要求
船外機に求められるのは、一時的な加速よりも、波や潮流に抗して長時間高負荷で稼働できる耐久性です。マーキュリー・マリンの「Verado 600」やヤマハの「XTO Offshore 450」は、いずれも排気量5L〜6LのV8エンジンで、出力は450〜600psに達します。ホンダも高出力のV8エンジンを生産しています。
これを2基、3基と並列に搭載することで、合計出力は1000psを超えることもあります。モーターでは発熱や冷却の制約が大きく、このような持続高出力運転は現状では困難なのです。
海上では、故障はそのまま「漂流」を意味します。電子制御や冷却システムに依存する電動モーターよりも、メカニカルな構造で世界中のマリーナに整備ノウハウがあるV8エンジンのほうが安心です。
さらに、船外機は複数基を独立して動作させる設計が一般的であり、1基にトラブルがあっても航行を続けられるという冗長性も備えています。電動システムでこれを実現するのは、バッテリー管理や重量バランスの面から非常に難しいのが実情です。
航続距離の短さなど電動化普及にはまだ時間がかかる
もちろん、電動化の動きがまったく停滞しているわけではありません。欧州のメーカーでは、高性能電動艇の開発を進めており、航続距離や出力も年々向上しています。現在の技術水準では、航行距離は数十キロが限界ですから、まだまだ普及には時間がかかります。プレジャーボートにとっては、まだ“実用の域”に達しているとは言い難いのです。
このように見ていくと、V8船外機が生き残っているのは偶然ではないのです。電動化の波は確実に押し寄せていますが、少なくとも今後10年は、V8が“海の心臓”であり続けるでしょう。






































