2度の全塗装を経たボディをオリジナルに戻して機関系をオーバーホール
RMサザビーズ「LONDON 2025」オークションに出品されたランボルギーニ P400ミウラは、1968年式の初期生産モデル。シャーシNo.は#3645である。
この年の9月5日、イタリア国内のランボルギーニ正規代理店「SEA」社に引き渡され、「Roma」ナンバー「D29122」で登録されたこの個体は、ベルトーネ製ボディに素晴らしい「ブル・ミウラ(Blu Miura)」のカラーリングを纏い、「スカイ・セナーペ(芥子色のビニールレザー)」のインテリアが組み合わされてサンタ・アガータ・ボロニェーゼ工場からラインオフした。このカラーリングは極めて稀な仕様であり、当時の工場記録資料によればブル・ミウラ塗装のP400はわずか37台のみであったとされている。
このミウラは同年9月下旬、初代オーナーであるローマのジャン・ジャコモ・パラディーノに新車販売されたあと、すぐに転売されランベルト・ジェネージの手へと渡る。1969年11月にSEA社へと戻されたのち、シャーシNo.#3645はロンバルディア州コモ在住のマリオ・ヴァノーリへ売却された。さらに半年後の1970年5月になると、ミウラは再び所有者を変え、マリア・モナステロ名義で登録。1982年5月まで同氏が所有した。
のちに「ロッソ・ミウラ(赤)」へとリペイントされ、2009年にオークション出品されるまでの間には、エンジンをP400S仕様にアップグレードされるとともに、ボディは「ブル・セラ(ミッドナイトブルー)」で塗装されていたと伝えられている。
その後、中東へと輸出されたシャーシNo.#3645は、2018年に今回のオークション出品車である現オーナーが入手。彼はこの象徴的なランボルギーニを、工場出荷時の正統なカラー仕様へ復元することを決断した。
そして直後に、イタリア・ロンバルディア州マントヴァ近郊に工房を構える名門ワークショップ「スカルタパッティ」社へと送られ、完全なベアメタル状態(塗装をすべて剥離した金属素地の状態)でのコンクール・デレガンス仕様へのフルレストア作業が施されることになる。
その作業の質の高さは、到着時の状態からベアメタル状態への剥離、新たなブル・ミウラ塗装、走行装置とエンジンの完全なオーバーホール、新しい内装、そして最終組み立てに至るまでの工程を記録したレストアフォトブックが物語っている。
修復を受託したスカルタパッティ社の熟練工チームが、細部に至るまで執念を持って作業に取り組んだことは、鋭い鑑識眼を持つ者なら気づくことだろう……、とRMサザビーズのキュレーターも太鼓判を押している。
強気のエスティメートを見事にクリアしたコンクール・デレガンス仕様
かくして2021年に完成したこのミウラは、ブル・ミウラのボディカラーとセナーペのビニールレザー内装という新車時の純正どおりのカラーコンビネーションで、エアボックスに貼られた正しい「フィアム」のステッカーに至るまで、見事と言うほかない姿を披露している。
また、アウトモービリ・ランボルギーニ社発行の工場台帳のコピー、修復用フォトブックに加えて、イタリアのFIA下部組織(日本のJAFに相当)の「ACI」が発行する登録年代証明書「エストラット・クロノロジコ」が添付されているのも特筆に値する。
RMサザビーズの営業部門では
「マッチングナンバーのエンジンと輝かしいコンクール・デレガンス仕様の修復を経て、ミウラは次なるオーナーのもとで新たなチャプターを刻む日を待っています」
なる宣伝文を添えて、120万ポンド~140万ポンド(邦貨換算約2億4720万円〜2億8840万円)という、通常であればP400SVはもちろんP400Sよりも安価に推移する事例の多いP400としては、かなり強気にも映るエスティメート(推定落札価格)を設定した。
そして、実際の競売では129万8750英ポンド。現在のレートで日本円に換算すれば、約2億6900万円で無事落札されることになった。




































































































