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リンカーンの馬車も展示! 米国立「スチュードベーカー博物館」が伝える自動車文化の魅力【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

パッカードにオイルのSTPもM&Aで買収
そしてアヴァンティで終止符を打った名門

メーカーのM&Aも積極的に推し進めた。もっとも、それらはすべて負の遺産といっても過言ではなかった。1928年に買収した高級車ブランド、ピアースアローは、翌年の世界恐慌の煽りをまともに受けた。スチュードベーカーを最初の連邦倒産法第11章に陥れたため、1933年に売却。

1954年には、同じく高級車ブランドだったパッカードと合併し、スチュードベーカー-パッカードコーポレーションに社名を変更した。しかし、結局これが引き金となり、自動車生産をやめることになったのである。

M&Aをしたのは自動車メーカーだけではない。1961年には、オイルメーカーとして日本でも知名度が高かったSTPを傘下に収めた。会社が危機的状況にあり、コンパクトカーの「ラーク」を開発した際、プロトタイプのリアに搭載されたエンジンは、何とポルシェ356用のフラット4であった。その後、独自のフラット4エンジンを開発。実際に搭載されることはなかったが、開発にはSTPも関与し、STPのCEOであったアンディ・グラナテッリも関わっていたと言われる。

スチュードベーカー最後のモデルとなったのは、アヴァンティの名を持つスポーティラグジュアリークーペだ。1962年の誕生当時はフォード・サンダーバードを仮想敵としたのだろう。しかし、1963年にサウスベンド工場が閉鎖。生産はカナダに移管され、1966年に自動車事業は終焉を迎えた。

博物館の建物は3層からなる。1階は馬車製造時代から戦前までのクルマを展示。2階は戦後から生産終了までのモデルが並ぶ。地下は「ビジブル・ストレージ」(見学可能な倉庫)と称し、展示できないモデルやパーツを2段駐車の形で収蔵している。スチュードベーカー博物館の常設展示はおよそ70台。定期的に地下のモデルと入れ替えをしているそうだ。

「奢れるものも久しからずや」の例えがある通り、東西の洋を問わず絶大な権力を保持していたとしても、いい気になっていると長続きはしない。スチュードベーカーも鍛冶屋で失敗した経験を活かして、馬車作りで成功を収めたことが教訓にならなかったことが悔やまれる。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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