いすゞ・ヴィークロスは時代を先取り!?
30年前にすでにあった「静かな予言車」
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題はSUVブームを30年も前に予見していたいすゞ「ヴィークロス」です。本格オフローダーの性能と、中村史郎氏による未来的な曲線美の融合。なぜこの異端児が今、クロスオーバーSUVの源流と呼ばれるのでしょうか。時代を先取りしすぎた革命児の真実と、日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞で満点を投じた当時の熱狂を振り返ります。
働くクルマのメーカー、いすゞが生んだ
常識外れのスペシャリティSUVの誕生
近年、街を見渡せば「クロスオーバーSUV」が当たり前の顔をして走っています。セダンでもなく、本格クロカンでもない。都市と自然のあいだを軽やかに横断するクロスオーバー。”SUVクーペ”と言ってもいいかもしれませんね。
では、その源流はいったいどこにあったのだろうか。そんな疑問を巡らせているうちに、ふと脳裏に浮かんだのが「いすゞ・ヴィークロス」でした。
いすゞ自動車は1993年に乗用車の生産から撤退しています。トラックとバスに軸足を移し、働くクルマのメーカーへと舵を切りました。ですが、オフロードカーの火は絶やしていませんでした。無骨なビッグホーンを生み出し続けていたのです。
その流れのなかで登場したのがヴィークロスでした。ビッグホーンのシャシーとパワーユニットを活用し、そこに強烈な個性を放つボディを被せたコンセプトカーを東京モーターショーに出展。会場は騒然となりました。その熱狂を受け、市販化へと踏み切ったのが1997年のことです。
他車からの流用パーツと独自意匠の融合!
あの中村史郎氏が描いた「未来の造形美」
あのスタイルは衝撃的でした。今でこそフェンダーやバンパーに樹脂製クラッディングを施すSUVは珍しくありません。しかし当時、その処理は極めて稀でした。しかも、全体を包み込むようなラウンドフォルム。SUVといえば角張った箱型が常識だった時代に、あえて曲線で勝負に出たのです。オフロード性能を備えながら、都市を意識した造形。僕は、これこそがクロスオーバーSUVの源流ではないかと感じているのです。
デザインを統括したのは、のちに日産自動車のデザイン本部長を務める中村史郎氏です。個性は細部にも宿っていました。通常はリアハッチ外側に背負うスペアタイヤを、ボディのなかに格納しています。そのためリアはふくらみを帯びますが、それすらも造形の一部として昇華していました。
アンテナはルーフ後端へ。今ではシャークフィンが一般的ですが、当時は画期的でした。リアウイングも同様です。スポーツカーの専売特許のような装備を、SUVに惜しげもなく与えたのです。給油キャップはエアプレーン式でした。航空機や一部レーシングカーに用いられる機構です。空力と機能を意識したその意匠は、機械好きの心をくすぐりましたね。
もっとも、贅を尽くしたわけではありません。コスト意識も徹底していました。ウインカーレンズはダイハツから、ヘッドライトのシールドビームはオートザム、サイドレンズはユーノスロードスターからの流用です。ぐるりと囲むクラッディングも「鉄板より安いから」という合理的理由で採用されたと聞きます。お金をかけるところにはかける。使えるものは賢く使う。まさにエッジの効いた開発姿勢でした。
30年後の今こそ評価される異端の価値
時代がようやく追いついたヴィークロス
デビュー当時、話題は沸騰しました。僕も日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を務めており、その挑戦心と意匠の革新性を高く評価し、特別賞に満点を投じた記憶があります。あの熱量はいまでも忘れられません。
しかし販売は伸び悩みました。理由は様々でしょう。ただ私は、時代がまだ追いついていなかったのだと感じています。未来を先取りし過ぎたのです。それから約30年。街にはトヨタC-HRや日産ジューク、三菱エクリプスクロスのようなクーペスタイルSUVがあふれています。個性を前面に押し出すモデルは、もはや特別ではありません。
もしヴィークロスがいま登場していたらどうだったでしょう。きっと大きなブレークを果たしていたのではないか。そう思わずにはいられません。ヴィークロスは、時代を駆け抜けた異端児であり、クロスオーバーSUVという潮流の、静かな予言者だったのかもしれません。




















































