ル・マンやセブリングを戦い抜いたワークスマシン! 日本で余生を送る貴重な4台
2026年4月に開催された「オートモビル カウンシル」にて、1960年代のモータースポーツ界を彩った「オースチン ヒーレースプライト」のワークスマシン4台が集結しました。排気量で勝るポルシェやフェラーリを相手に、耐久レースで激闘を繰り広げた小さな巨人の歴史を紐解きます。日本で大切に受け継がれる、世界に数台しか存在しない名機たちの魅力をレポートします。
赤旗法からBMCの興亡を経て今なお愛される、英国遺産とも言えるワークス オースチン・ヒーレー4台の粋
イギリスで蒸気自動車が登場し始めた19世紀終盤頃に制定された、馬車ギルド(馬車業者)の権益確保や歩行者の安全確保が名目で制定されたのが、悪評高い“赤旗法”(正式名称は機関車法:Locomotive Act)だ。これにより、イギリスの自動車界はドイツやフランスなどライバルに大きく後れを取った。しかし、国を挙げてモータースポーツに注力したことで、モビリティの最前線に躍り出る。そのあとは“英国病”などに足を引っ張られる格好で、国産ブランドの多くが新興企業の門下に下った。現在、生粋の英国メーカーは片手で数えるほどしか残っていない。
まさに興亡目まぐるしいイギリスの自動車界だ。しかしクルマ趣味に関しては相変わらず王道を極めており、今回のオートモビル カウンシルにも数多くのヘリテージモデルが出展されていた。
なかでも目を引いたのが「コーギーズ(CORGY’S)」のブースだ。1960年代に活躍した4台の「オースチン ヒーレースプライト」のワークス・レーシングカーを集めて出展していた。まるで21世紀の現代から一気に、1960年代のスパルタンなヨーロッパにタイムスリップしたかのような錯覚を生む展示内容であった。
今ではブランドもメーカーそのものも消失してしまった。オースチンは1905年創業の老舗英国車メーカーだ。合従連衡を繰り返しながら、戦後にはモーリスと合併してBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)を設立した。両雄が手を取り合って堂々たるトップメーカーを誕生させた経緯がある。そのオースチン/BMCのなかでヒーレーと言えば、小型スポーツカーの有力なブランドだ。日本でも“カニ目”の愛称で人気の高い「スプライト マーク1」などが有名である。
アバウトな規則下でポルシェやディーノら格上勢に挑み、クラス優勝や入賞を遂げたオースチン・ヒーレーの英姿
今回紹介するワークス・レーシングカーは、当時のスポーツカー世界選手権に参加するため、プロトタイプ規定で製作された。ル・マンやセブリングなど、高速コースでの耐久レースに向けてハンドメイドのボディにBMC製の1.3L直4エンジンを搭載していた。
ただし、当時のプロトタイプクラスは排気量2000ccの上下で分かれていた。1300ccのこのマシンが、「ポルシェ 906」や「ポルシェ 910」、あるいは「ディーノ」と同じクラスに振り分けられたのだ。これらは2000ccエンジンをミッドシップに搭載する、別次元のモンスターマシンである。当時の大雑把なレギュレーションにより、排気量が倍近く違う格上のライバルを相手に苦戦を強いられることになった。
出展された4台のうち2台は、1965年のル・マン24時間レースに出走したワークス・ル・マン・プロトタイプだ。総合12位で完走し、1300cc以下のクラスで見事クラス優勝を飾った「49号車」。そして、スタートから22時間まで力強く走りながらもギヤボックスのトラブルでリタイアに終わった「48号車」である。
さらに、1966年のセブリング12時間レースに参戦し、総合18位で完走してクラス5位入賞を果たした「59号車」もある。このクラスの上位4台は、すべて2Lエンジンを搭載したポルシェ 906とディーノであった。
4台目は、1967年のタルガ フローリオに参戦した車両だ。イタリアのシチリア島で開催されていたこのレースは、1周70km以上の過酷な公道コースを走る。小排気量ながら俊敏なこのマシンにとって、真価が問われる舞台であった。僚友の「168号車」はクラス4位入賞を果たしている。セブリングと同様にトップ3はポルシェ 910とディーノであったため、実質的なクラス優勝といえる結果を残した。
いっぽう、ラウノ・アルトーネン組が走らせたこの車両は、アクシデントによりリタイアしている。なお、今回の展示ではニュルブルクリンク1000km参戦時のゼッケン「44」を纏っているが、タルガ フローリオでゼッケン「172」をつけていた個体そのものだ。
世界で約10台の希少なワークスカー4台が日本に集結した奇跡を体現できるオートモビル カウンシルの歴史的展示!
オースチン ヒーレースプライトのワークス・レーシングカーは、10台(あるいは11台)が製造されたと伝えられている。こうして4台が顔を揃えるのは非常に稀なケースだ。
しかも、生まれ故郷である英国からずっと離れた極東の地である。驚いてスタッフに尋ねたところ、多くは日本人オーナーのもとで優雅な余生を過ごしているとのことだ。
優雅とはいっても、今回のようなイベントに展示されるだけではない。旧車が集まる走行イベントでは、オーナーとともにハイスピードランを愉しんでいるようだ。御殿場に引きこもった私のような爺ライターの日々とは違って、アクティブな余生である。
いずれにしても、この4台がこうして顔を揃えるのは極めて珍しい。こうした歴史的なシーンが展開されるのも、オートモビル カウンシルの良いところである。























































