通好みのセンス良よくまとめられたレーシングモディファイ
兄弟車という言葉をご存じでしょうか。見た目は少し違っても、じつは中身は同じ設計のクルマという意味です。そんな手法が盛んだった1960年代のイギリスで生まれたのが、ライレー「1.5」です。上質でスポーティなサルーンとして知られ、同時期のウーズレー「1500」やMG「マグネット」と多くの部品を共有していました。今回紹介するのは、新潟県糸魚川市で開催された『第20回フォッサマグナミュージアム・クラシックカーミーティング』に参加していた、地元新潟の長尾和青さんが手塩にかけて仕上げた1964年式ライレー 1.5。ラリーやジムカーナにも出場するこのクルマには、英国車文化への深い愛情と遊び心が息づいています。
BMCがたくさんのライレー1.5の兄弟車を生み出した
身近な国産車の兄弟車といえば、トヨタ「86」とスバル「BRZ」が挙げられる。ダイハツ「ハイゼット」とスバル「サンバー」、あるいはかつての日産「セドリック」と「グロリア」も同様だ。これらは基本的に同じ設計のクルマを、ブランドや販売網によって別のクルマとする手法である。このような「兄弟車」は、古くから洋の東西を問わずさまざまなメーカーからリリースされてきた事実はよく知られている。グリルやエンブレムなどのディテールを変える程度でまったく別のクルマが「開発」できるということから、その手法はバッジエンジニアリングとも呼ばれている。
バッジエンジニアリングがとくに多く見られたのが、1960年代のイギリスである。オースチン、モーリス、ウーズレー、ライレー、MG、ヴァンデン・プラといった多くのメーカーは、もともとそれぞれが独立した自動車メーカーであった。これらのライバルはスケールメリットを求めて合流し、1952年にBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)という英国最大の民族資本系メーカーが誕生した。以来、BMCは各ブランドの個性とイメージを活かした。その上で、量産効果を狙って部品の共通化と車種統合を推し進めていった。この時代に生まれたBMC車のひとつが、ライレー1.5(ワンポイントファイブ)である。
ライレー1.5はその名のとおりライレーブランドからリリースされた、1.5Lエンジンを搭載するスポーティなサルーンである。ほぼ同じ見た目の兄弟車にはウーズレー 1500があり、さらに言えばフロアパンや足まわりはモーリス マイナー、エンジンはMG マグネットと共通という具合に、グループ内のリソースを最大限活用したモデルである。生産期間は1957年から1965年である。後任のADO16一族と比較すると、日本での知名度はやや低い。








































































