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ガスタービン車に世界初の流線型自動車!? アメ車黄金期を支えたクライスラーのいまは無き名車コレクション【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

かつてのアメリカ自動車産業を牽引したクライスラーの栄光の歴史をたどる

モータージャーナリストの中村孝仁氏の世界に広がる豊富な経験談を今に伝える連載である。今回は、かつてアメリカのビッグ3と呼ばれた名門ブランドの歴史が詰まった「ウォルター・P・クライスラー・ミュージアム」の記憶をたどる。残念ながら、現在は閉館となってしまった幻の自動車博物館に所蔵されていた、アメリカ自動車史を彩る貴重な名車たちの魅力を深掘りする。

14のブランドを抱える巨大グループのなかで異端となったクライスラーの現状を憂う

かつてビッグ3と呼ばれた、アメリカの3大自動車メーカーの一角だったクライスラー。何度かの経営危機を乗り越えて、今はステランティス傘下のブランドになっている。

そのステランティスは、じつに14ものブランドを抱える巨大自動車コングロマリットであるのだが、このメーカーが形成された段階で、主導権は完全にヨーロッパの元PSA系(プジョー・シトロエン等)と、かつてのFCAのフィアットグループが握り、アメリカのクライスラーは完全な異端状態になった印象が強い。

クライスラーが単独でブランドとして成り立っていた1999年に、彼らの歴史を詰め込んだ「ウォルター・P・クライスラー・ミュージアム」をオープンさせた。筆者が初めてここを訪れたのは、オープンした翌年の2000年のことである。ヘンリーフォード・ミュージアムと違って、ここはクライスラーの過去から現在までのプロダクトをディスプレイする、純粋な自動車博物館である。当時の所蔵コレクションはおよそ130台。このうちの75台が展示され、しかもいつでもドライブできる動態保存となっていた

75周年を記念して建設された純粋な自動車博物館のスケールと展示に圧倒される

1999年は、クライスラーにとって75周年の記念すべき年で、それを記念してこのミュージアムがオープンしたというわけである。一口にクライスラーの歴史といっても、それほど単純なものではない。1999年当時、部門として存在したクライスラー、ジープ、ダッジ、プリマスはもちろんのこと、過去に吸収合併して今は名前が消えてしまったメーカーや、一度は傘下に収めたが再び手放してしまったメーカーのモデルなどもここには展示されている。代表的なところでは前者がハドソン、後者ではランボルギーニが挙げられる。

建物は3階建て。総面積は5000平方メートル、敷地面積は約4万平方メートルに及び、このなかには博物館のほかに、文書保管所、研究場所、管理事務所、そして260台をとめられる駐車場などが含まれている。博物館そのもののサイズとしては決して大きい方ではない。しかし、気軽に行ってゆっくりと見るにはちょうどいい大きさだ。丸1日かけてへとへとになるものよりも、個人的には見やすいと感じる。日本の博物館のイメージとしては、ちょうどモビリティリゾートもてぎにあるホンダコレクションホールほどのサイズと思えばよいだろう。

流線型デザインの先駆けとなったエアフローなど歴史を彩った名車たちを振り返る

建物に入ると右手に受け付け、左手にはミュージアムショップが待ち構えている。だが、目を奪われるのは高さ22mという巨大なスチールツリーに大型のトレイが3つ設けられ、そこにクライスラーヒストリーを飾る重要な3台が展示され、しかもそれがゆっくりと回転していることである。筆者が訪れた当時は、ダッジ「バイパー」のプロトタイプ、1941年のクライスラー「サンダーボルト(コンセプトカー)」、それにガスタービン試験車であった(その後に訪れた時は入れ替わっていた)。

上階に行くと、過去から現代に至るクライスラーの歴史が駆け足で展示されているほか、ビデオシアターなどが用意されている。ここでは、マッスルカー時代の映像などが楽しめた。一番のお目当てがあったのは地下だ。およそ35台というから、ほぼ全展示の半分がここに集結し、その多くがモパー系(MOPAR=クライスラーの純正パーツブランドから派生した愛称でMOterとPARtsを掛け合わせた造語。クライスラー系マッスルカーやそのファンを象徴するカルチャーの総称)のいわゆるクライスラー高性能車群であった。

残念ながら博物館は赤字を理由に2016年に閉館されて、今はオフィスに衣替えされてしまったという。最後に残った67台の展示車両はとりあえず保存され、各地のイベントや施設で展示されるということだが、それも今から10年前の話で、その後の消息については残念ながら不明である。そんなわけで今は見ることができなくなってしまった、貴重なクライスラーの歴史を飾るモデルの一部を見ていこう。

その前に建物の外観について少し触れておく。外観は赤みを帯びた花崗岩と黒いガラスで覆われている。これは隣にあるテクノロジーセンターを補完するものであり、アトリウムの上にあるガラスのピラミッドは、まわりに点在するテクニカルセンターのスカイライトを映し出している。博物館のみならず、ここはヘッドクォーター(本社機能)の建物を兼ねているのだ。

貴重なコンセプトカーや高性能車が並ぶ地下フロアの展示モデルが秀逸

チョイスしたモデルのなかで一番古いのがこれ。1934年式のクライスラー「エアフロー」だ。いわゆる流線型という言葉を形にした最初のクルマである。当時としては、もっともラジカルなデザインを具体化したモデルとして脚光を浴びた。単にラジカルなデザインを持つだけでなく、ロングホイールベース化してリアシートをアクスルより前に置き、快適さも持たせていた。

ターンテーブルで回っていた1台は、1941年式のサンダーボルトである。1941年にショーカーとして6台が生産されたと言われる。斬新なデザインはアレックス・トレミュリースによるものだ。革新的なフラッシュサイドのアルミボディを持ち、電動ソフトトップ、リトラクタブルヘッドランプ、ハイドロパワーウインドウなど、斬新なアイデアに溢れていた。フラッシュサイド(フェンダーの出っ張りがないフラットな側面)のモデルとしては、ピニンファリーナのチシタリアよりもこちらのほうが早い。

前述したように、合従連衡のアメリカ自動車史のなかで、ナッシュと合併してAMCを作ったのがハドソンである。そしてそのAMCを買収した結果、歴史はクライスラーとともになった。展示されていたのは1953年のハドソン「ホーネット」である。ホーネットはハドソン時代の最後のモデルで、1951年に発表された。独特のステップダウンというニックネームのついたボディ構造を持つ。

1953年式のナッシュ「ヒーレー」も貴重な1台だ。「メトロポリタン」をはじめ、ユニークなクルマ作りで知られたナッシュ。1954年にハドソンと合併してAMCとなるが、その直前に発表されたのがこのクルマである。ビッグヒーレーで知られるドナルド・ヒーレーが設計し、ナッシュのV8を搭載したものだ。わずか162台が生産されただけである。

1950年代初頭、クライスラーはヴァージル・エクスナーをアドバンス・スタジオのチーフとして迎え入れ、いわゆるコンセプトカーの製作をスタートさせた。彼の作品はイタリアのカロッツェリア(車体工房)、ギアによって具体化されたが、そのうちの1台がこのクライスラー「スペシャル」である。

安さが売りものだったプリマスに、スポーティなイメージを注ぎ込んだのがこの「フューリー」である。1956年に登場したこのモデルは、他のプリマスよりも1インチ車高が低く、プリマスの新たな境地を開くことになる。

1963年、クライスラーは7種類のガスタービンエンジンを開発し、このうち4世代目のものを50台生産し、当時のユーザー代表に評価させた。ボディはエルウッド・エンジェルのデザインで、ギアがコーチワークを担当した。残念ながら量産には至っていない。現在生き残っているのは9台と言われる。

このほかにも多数の貴重なモデルが存在した。バックヤードにあった他のモデルを含め、処分されていないことを祈るのみである。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

 

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