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NISMO FESTIVAL 20th anniversary 『ニスモフェスティバルの20年史を振り返る1997~2000y』

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高橋国光選手の引退セレモニーに拍手の嵐

『1999y 第3回ニスモフェスティバル』

“国さん”にはやっぱりハコスカGT–Rがよく似合う!

ルノーと日産の資本提携が行われ、日産モータースポーツ活動にも大きな変化があった平成11(1999)年。この年の主役はやはり”国さん“こと高橋国光選手。すべての来場者が最後の走りをその目に焼き付けた。

ニスモフェスティバル、R390、ニスモ、グループA、TSサニー、R32GT-R、高橋国光、長谷見昌弘、土屋圭一

カルロス・ゴーン社長来場新時代の到来を感じさせた

1999年に開催された「富士ル・マン1000kmレース」ではR391がトヨタのTS010を破り優勝。この年のニスモフェスティバルは苦戦を強いられたル・マン24時間レースへの汚名を晴らした余韻が残る11月21日に開催され、来場者数が初めて3万人を超えた。

ニスモフェスティバル、R390、ニスモ、グループA、TSサニー、R32GT-R、高橋国光、長谷見昌弘、土屋圭一

ル・マン24時間レースでは全車リタイヤに終わったが、ル・マン富士1,000kmレースでは優勝したR391を先頭に走行。優秀の美を飾った!

JGTCでもペンズオイル・ニスモGT-Rが、イギリスのBTCCでもプリメーラが2連覇を達成するなど、前年に引き続き日産/ニスモの活躍が目立った年だった。
ただ、日産がルノーと提携し、日産/ニスモを取り巻く環境が大きく変わった。カルロス・ゴーン氏が社長に就任し、日産の経営再建に着手。その中で継続してきたル・マン24時間レースへの参戦も中止という決断が下されている。

ニスモフェスティバル、R390、ニスモ、グループA、TSサニー、R32GT-R、高橋国光、長谷見昌弘、土屋圭一

ルノーとの資本提携により、新しい日産最高執行責任者に就任したカルロス・ゴーン氏も視察。レース好きの同氏はR390で同乗走行も体験。

新社長のカルロス・ゴーン氏も視察に訪れる中、開催された第3回は新たに会員限定のファミリー走行やタミヤのR/Cカー広場などが行われ、さらにコンテンツが充実した。
この年のトピックスは“国さん”こと高橋国光選手の引退セレモニーを行ったことだ。当時の国さんは他メーカーで活躍するドライバーだったが、日産ワークスドライバーとしてハコスカGT-Rを駆り、栄光の記録を作り上げた立役者のひとりである偉大なドライバー。ファンと共に感謝の気持ちを表すためにセレモニーを行なった。

ニスモフェスティバル、R390、ニスモ、グループA、TSサニー、R32GT-R、高橋国光、長谷見昌弘、土屋圭一

ハコスカGT-R(C10型スカイライン)のレース50勝目を飾った高橋国光選手。その思い出のマシンであるゼッケン15番(レプリカ)で富士のコースを快走。最後の勇姿を集まった多くのファンがその目に焼き付けた!

ニスモフェスティバル、R390、ニスモ、グループA、TSサニー、R32GT-R、高橋国光、長谷見昌弘、土屋圭一

また、ルノーエンジンを搭載したウイリアムズのF1マシン(当時)をはじめ、ルノー車を多数招聘するなど、日産の新たなグローバル化の流れを感じた年であった。

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日産のマシンに交じってルノーのレーシングカーも展示、走行。当時エンジンを供給していたウイリアムズのF1マシンの注目度は高かった。

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イベントの認知度が高まり、来場者はついに3万人を突破。レース同様多くの人でパドックは溢れるが、ドライバーもファンもなごやかだ!

 

【↓次ページに続く↓】

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