直6の“呪縛”から解放、究極のスカイラインに
グループAによる全日本ツーリングカー選手権(JTC)は1993年限りで終了。94年からは全日本ツーリングカー選手権(JTCC)へと衣替えすることになった。こちらのレース車両規則は、2ℓ以下の4ドアセダンによる戦いだったため、2.6リッターの2ドアクーペであるGT-Rが参戦することは不可能だった。
そこでスカイラインの新たな舞台として用意されたのが、全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GTの前身)。当初はグループAに出走していたマシンそのものに手を加えての参戦だったが、やがてJGTC専用に開発されるようになった。
GT選手権レースではスカイラインGT-Rとトヨタのスープラに加えて、90年代終盤からはホンダNSXが登場。メーカー対決の様相からバトルだけでなく、車両の開発競争もみるみる激化していった。ミッドシップ2シーターのNSXはともかく、同じくライバルであるスープラも、直6エンジンから直4エンジンにコンバートするなどのパッケージングに手を入れてきていた。
これに対してGT-Rは、エンジンの搭載位置をより低く、より後方に移動させ、98年にはR33型でチーム&ドライバーのダブルチャンピオン、99年にはR34型を投入してドライバーチャンピオン、01年にはチームチャンピオン、と健闘。しかし、GT-Rのお約束でもあった直6ツインカムは、次第に大きな“お荷物”となっていく。
02年、ベースモデルのR34GT-Rの生産が終了するのを待ってRB26DETTからV6ツインカムのVQ30DETTを搭載したマシンを投入。呪縛を解かれ、第3戦のSUGOでニスモの1台がVQ仕様でデビュー。セパン遠征ラウンドを挟んで第5戦の富士では全車がVQ仕様にコンバートされた。
残念ながら02年シーズンは未勝利に終わったが、翌03年には陣営全体で3勝を挙げ、彼ら自身は優勝こそなかったものの、着実にポイントを稼いでいった23号車の本山哲/ミハエル・クルム組がドライバーズチャンピオンに輝く。そしてニスモはチームチャンピオンにも輝いてダブルタイトルを獲得。22号車は第2戦で勝ちニスモのチームチャンピオンにも貢献した影山正美/リチャード・ライアン組のマシン。スカイラインGT-Rのラストシーズンに花を添えることになった。