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1969年に起こった衝撃! 日産の名車、フェアレディZとスカイラインGT-R 誕生

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: 増田貴広

希少な両車をオートモビルカウンシルへ展示

 国産車の歴史の中で、パフォーマンスとクオリティが突然飛躍した年が2回ある。それは平成元年=1989年と、それからさらに20年遡った1969年だ。そのように時代が変わった1969年の主役といえば、日産の初代フェアレディZ(S30型)と、初代スカイラインGT-R(PGC10型)の2台であろう。

 先週閉幕した「AUTOMOBILE COUNCIL 2019」の日産ブースには、両車の誕生50周年を記念し、「GT-R & Z 50th Anniversary」というテーマで、1970年製のフェアレディZ-Lと、1969年のJAFグランプリに優勝したゼッケン39のスカイラインGT-R(復元車両)を出展。間近で日産が誇るスポーツカーの原点を確認することができた。

 

いまや希有なベーシック・フェアレディZ

 とくに貴重だったのは、S30型フェアレディZ。高性能でハイスペック、なおかつ実用性も高く安価だったS30は、北米を中心に大ヒット。全世界で55万台も販売された。

 そんな初代フェアレディZだが、現在においてピカピカな状態で保存されているのはZ432や、Gノーズの240Zなどの上位グレードが中心。ベーシックな初期型のフェアレディZが、オリジナルのままここまでのコンディションを保っているというのは非常にまれなケースだろう。

 しかも展示された個体は、車体番号が2500番台という最初期モデル。リアゲートのエア抜きダクトやリアガラスの縦型熱線という初期型ならではの特徴がしっかり見られた。

「フェアレディZ-L」は、ミッションが5速で、助手席フットレスト、リクライニングシート、カーラジオなどがついて、当時の新車価格が108万円。廉価版の「フェアレディZ」は、4速MTで93万円だった。

 サラリーマンの平均年収は1971年に100万円を突破したので、ほぼ年収と同じ価格で登場。「みんなのスポーツカー」それが、フェアレディZに与えられた命題だったので、価格も重要なポイントだった。

 ボディカラーはオリジナルの『グランプリグリーン』で、タイヤも当時のバイアスタイヤ(ブリヂストン)というのも超貴重である。

 逆アリゲータータイプのボンネットを開けると、両脇にはバッテリーインスペクション リッドとウォッシャー液のリッドが確認できる。

 広大なアメリカ大陸を余裕を持って走れる航続距離の長いスポーツカーを目指していて、燃料タンクが60リットルと大きかったのもS30型フェアレディZの特徴だった。

 

スカイライン49連勝の初勝利を獲得した39号車

 もう一台のスカイラインGT-Rは、フェアレディZの「みんなのスポーツカー」に対して、「レースに勝つ」ために生まれてきたクルマ。

 プリンス自動車と日産が合併してから最初に登場した初代「日産スカイライン」(GC10系)の車体に、プリンスのレーシングカーR380のDOHCエンジン、GR8型のデチューン版=S20エンジンを搭載。量産車世界初の4バルブDOHCエンジンを搭載したツーリングカーレース用高性能セダンとして「GT-R」の名前が与えられた。この2台が同じメーカーから、同じ1969年にデビューさせたというところが実に興味深いところでもある。

 なお、この39号車はGT-Rの初陣、1969年のJAFグランプリで優勝。ハコスカの49連勝(通算52勝)の1勝目を記録したマシンを復元したものである。

 ライバルはトヨタ1600GT(コロナの高性能バージョン)で、じつはこのレースも1600GTが1.19秒差でトップチェッカーを受けたのだが、ファイナルラップに走路妨害をしたという判定で1ラップ減算のペナルティとなり、GT-Rが繰り上がり優勝した。GT-Rが走ったのは前座のTSクラスだったので、ワークスドライバーではなく、クラブマンドライバーにハンドルが託されていたのであった。

 GT-Rの強みは、160馬力の最強の2リッターエンジン、S20型エンジンそのもの。高回転時におけるクランクシャフトの捻じれを抑えるために、レーシングエンジンならではのサイドボルト併用方式を採用。クランクシャフトベアリングキャップを、下からに加え左右からもシリンダーブロックと締結させる作りになっている。ヘッドボルトも同じ直6エンジンのL20型よりも2倍も多かった。

 キャブはソレックス(40PHH)を3連。レース用オプションでソレックスの44PHHやウエーバー(45DCOE)もあって、当時のハイテクてんこ盛りのエンジンだった(エンジン単価=70万円)。しかも、典型的な高回転型エンジンだったので、4000回転以下はさっぱりという話も聞く。

 そして、トヨタ2000GTをライバル視し、S30フェアレディZにS20型エンジンを載せたZ432も作り、レースでも走らせたが、じつのところL24型2.4リッター直6SOHCエンジンを搭載する240Zの方が、トルキーでドライバビリティがよく、速かった。

 最先端技術を投入したレーシングエンジンのS20型より、ローテクな大排気量で、乗りやすい実用エンジンのL24型エンジンを搭載したクルマの方がパフォーマンスが高かったというのはちょっと皮肉な話だが、これも日産が2つのタイプのエンジンを持ち、スカイラインGT-RとフェアレディZを同時期に作っていたからこそ分かったこと。

 50年前、この2台から学んだことは大きいし、スカイラインGT-RとフェアレディZが、日本のスポーツカーをけん引してきたからこそ、国産スポーツの今があるといっても過言ではないはずだ。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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