クルマが大切だった時代はもはや…
昭和の時代には定番だったが、今は消えてしまったクルマ文化。その代表といえるのがフロントに装着する正月のしめ縄で、もはや「見たことがない」などという人も少なくないだろう。いったいアレは何を目的としていたのか、そしてナゼ見かけなくなってしまったのか。正月が近付いたということで、昔を懐かしみつつ検証したい。
交通安全への祈りがどう変わったのか
まず大勢の人がしめ縄を取り付けていた理由は、想像できるとおり『交通安全』を祈願するためだ。飾り始めの時期は12月13日から28日ごろ、そして1月7日から15日くらいに外すのがセオリーとのこと。小正月とされる1月15日は正月飾りを燃やす『左義長(名称は地域で異なる)』が行われ、クルマのしめ縄も例に漏れずそこで火に焚べるのが一般的だった。
伝統的文化の廃れてゆく日本の風情
続いて全国に定着した風習が消えた理由を、文化的な側面から考えてみよう。
まずは以前と比べて正月文化を重んじなくなったこと。クルマのしめ縄に限らず門松や年賀状も衰退の一途をたどり、交通安全の祈願も季節に関係ないお守りが主流となった。しめ縄が流行し始めたと思われる昭和40年代に比べ、クルマの所有が当たり前となり特殊性が薄れたことも挙げられる。
今でこそ一家に一台を通り越しひとりに一台ともいえる時代だが、当時は一般的な家庭にとってまだまだ贅沢品の域を出ておらず、やっとのことで手に入れたマイカーを大切にする気持ちが強かった。しめ縄はそんな宝物の無事息災を願う象徴だったのではないだろうか。