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歴代開発陣が語るGT-Rが50年以上も愛される理由

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TEXT: GT-R Magazine 野田航也  PHOTO: GT-R Magazine

R33商品主管「田口 浩氏」語る

 R32型スカイラインでは商品主担として伊藤主管をサポート、R33型では商品主管に着任し開発を指揮した田口 浩氏。初代スカイラインGT-Rが誕生した昭和44(1969)年に「日産自動車」に入社。GT-R同様、田口氏自身にとっても2019年は日産入社からちょうど50年を数える年となった。R31の途中からスカイラインチームに加わり、GT-R復活プロジェクトを水面下で支えた田口氏がスカイラインとGT-Rに寄せる想いとは。

ポルシェ904との激闘がすべての始まり

 今年もR’s Meetingに呼んでいただき、これほどたくさんのファンの皆さんが集まってくれたことを大変うれしく思います。若い人や家族連れの姿も多く見受けられましたし、スカイラインファンの方々の熱意はすごいなと実感しました。50周年ということであらためて感じることは、GT-Rは初代C10以前のプリンス時代から話が繋がっているということです。第1回日本グランプリでプリンスが惨敗し、それがきっかけで直列6気筒エンジンを積んだS54のスカイラインGTが生まれました。当時設計に携わった伊藤さんからもお話しを聞いたことがありますが、徹夜続きで造り上げたS54が翌年の第2回グランプリでポルシェ904とデッドヒートを繰り広げたことがすべての始まりだったわけです。

 その後、初代ハコスカGT-Rが’69年にデビューして、わたしも同年に日産に入り、その後は車体とレイアウト設計を担当しました。スカイラインは櫻井眞一郎さんが設計者で、そのイメージが長年ずっと続いていました。R31の途中まで櫻井さんが手掛けられたわけですが、伊藤さんが後を継いで主管になり、R31で非常に辛い思いをしたぶん伊藤さんはR32の開発に強い気持ちで臨まれ、わたしも商品主担としてR32を担当することになりました。

セダンでありながら速く走れるのが原点

 当時主担だったわたしは、「とにかく伊藤さんを男にしなければ」という思いで懸命に開発に携わったことを思い出します。恐らく、R32の開発チームは皆そう思っていたのではないでしょうか。R31ではかなり苦労をしましたし、新しい直列6気筒のRBエンジンが期待されたほど走らなかったこともあり、ファンからは厳しい意見も頂戴しました。伊藤さんと二人で全国の販売店を回るなど、非常に大変な思いをしたクルマでした。だからこそ、次のR32では絶対にリカバリーしなければいけないし、必ず成功させるんだという強い気持ちで、走りの性能をしっかりと上げようと頑張りました。

 2019年でGT-Rが50周年、R32が30周年と聞くと、短かったような気もしますし、いろいろなことがあって長かったなと感じる部分もあります。そして今日、富士スピードウェイにこれほど多くのファンが集まった光景を目にして、スカイラインGT-Rというクルマはファンの皆さんにずっと支えられてきたんだなと、しみじみ思い入った次第です。

 日産を退社してからも、スカイラインやGT-Rのことは気に掛けながら見てきました。わたしが考えるスカイライン像はファミリーセダンであり、それでいて速く走れる性能を有しているクルマです。わたしが手掛けたR32/R33スカイラインは、その時代時代に合わせながら、皆さんが理想として望まれていることを表現できたと思っています。この先のスカイラインやGT-Rも、いずれAIのお世話になる時代が来るかもしれません。わたしは形は変わっても、スカイラインとGT-Rはこの先も続いてほしいですし、常にファンの皆さんを驚かせるような存在であってほしい。そう願っています。

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