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歴代開発陣が語るGT-Rが50年以上も愛される理由

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TEXT: GT-R Magazine 野田航也  PHOTO: GT-R Magazine

R33/R34商品主管「渡邉衡三氏」語る

 昭和42(1967)年、「日産自動車」入社直後からC10スカイラインのサスペンション設計を担当。その後、R32型スカイラインの実験主担/実験主管を経て、R33型とR34型の商品主管を歴任した渡邉衡三氏。初代のハコスカGT-Rに加え、第2世代GT-Rの開発すべてに携わった貴重な存在である。「GT-R Magazine」でも長年にわたり連載企画に寄稿、R’s Meetingもほぼ皆勤賞で参加いただいている渡邉氏が50周年を迎えての率直な気持ちを語る。

日本GPで勝っていたらGT-Rは生まれなかった

 正直に言いますと「もう50年も経ったのか」という思いです。わたしがまだペーペーの新人のころ、PGC10(初代ハコスカGT-R)のレース車両の足まわりを担当させてもらい、さらに第2世代最後のR34スカイラインで日産を卒業してからも20年が経っています。自分が年を取ったということなのかもしれませんが、この50年間はあっという間に感じます。入社当時、伊藤修令さんから「足まわりの設計はこうやってやるんだ」ということを叩き込まれたことが、今も強く記憶に残っています。GT-Rの50年という歴史があるのは、ある意味においてポルシェという存在のお陰かな、とも思っています。もし仮に、第2回日本グランプリにポルシェ904が参戦せず、相手がコルチナ・ロータスだったとしたら……。レバタラがあってはいけないかもしれませんが、そこでプリンスのスカイラインGTが勝っていたならば、その後のスカイラインやGT-Rの存在はどうなっていたのだろうかと。

 世界の本物のスポーツカーのレベルはこういうものなんだということを、ポルシェにまざまざと見せつけられたのです。グランプリが終わった後でプリンスの田中次郎さんと榊原雄二さんがブラバムのシャシーを買い付けに行き、その後R380を開発しました。そのエンジンをディチューンしてC10スカイラインに積んだのが初代GT-Rです。

究極のドライビングプレジャーを追求し続けてほしい

 そういう歴史も踏まえ、今から30年前に発売したR32スカイラインGT-Rは、「出てこいポルシェ!」という意気込みで開発しました。そういうバックボーンをご存知ない方もいらっしゃるのではないでしょうか。今では海外で600psの4WDで4輪ステアだということを威張ってらっしゃるクルマもあるようですが、わたしに言わせていただければ、「30年前に自分たちはすでにやっていましたけど、何を今さら?」という風にも思ってしまいます。

 GT-Rファンの皆さんも気になるであろう今後のGT-R像ですが、「究極のドライビングプレジャーの追求」をぜひとも続けてほしい。それがわたしの願いです。当然、ハードウェアに関しては時代の要請もありますし、何を使用しても構わないと思います。ただ、それを使って本当に楽しいのか? 乗っている人に楽しさを感じさせることができるか? というところを真剣に考えてほしいですね。

 R’s Meetingではあれだけたくさんのファンが熱心にサポートしてくださり、ショップの方々も一生懸命取り組んでくださっている。そして、GT-R Magazineさんをはじめ、マスコミの皆さんもGT-Rを可愛がってくださっていることは大変ありがたく思います。

 ファンの方から「いいクルマを造ってくれてありがとう」と言われて困惑することがあるのですが、わたしとしては、お客さまに対して「こちらこそ大事にしていただいてありがとうございます」という感謝の気持ちしかありません。

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