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ランエボの先祖だった「三菱ランサーEXターボ」を知ってる? 80年代にラリーで活躍した「ランタボ」がすごかった!

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

1800のNAモデルが国内ラリーで先鞭をつけターボが国内外で好成績

 国内ラリーではJAFの車両規定が変更され、それまで許されていたエンジンチューニングが禁止されるようになりました。1979年の全日本選手権ラリーでは三菱車のなかではミラージュ1600GTが主戦マシンを務めていましたが、1980年シーズンにはランサーEXの1800GSRが投入されました。

 ただしNA1.8L/100psのパワーでは非力さは否定できません。それでも渾身のドライブを続けた大庭誠介選手がシリーズ3位に食い込んでいました。彼のドライビングによるところは大きかったのですが、4輪ディスクブレーキがおごられるなど、シャシー性能の高さも見逃せなかったようです。

 この1980年シーズンの反省からか、1981年シーズン、国内ラリーにおける三菱勢の主力は145psエンジンを搭載したギャランΣターボが投入されることになりました。2Lターボから絞り出されるパワーは大きなアドバンテージだったようですが、その反面ボディが5ナンバー枠いっぱいにまで拡大し、車両重量もランサーEXに比べて200kg以上も重くなっており、ハイパワーのアドバンテージも相殺されてしまいました。

 チューニングパーツも揃っていなかったデビュー戦で大庭選手が4位入賞した際には大きく注目されましたが、結果的にそれ以降は目立った結果を残すことができないままシーズンが終了しています。

 一方、1981年の11月にはランサーEXにラリーカーの本命ともいうべき1800ターボGSRが追加設定され、こうした状況を受けて1982年シーズンの国内ラリーには大きな期待とともにランサーEX1800ターボGSRが投入されることになりました。

 そして結果は、ランサーEX1800ターボGSRの圧勝に終わりました。全10戦中7戦で優勝を飾り、勝てなかった3戦のうち特殊なスノーラリーの開幕戦、DCCSウィンターラリーではスバルが大差で優勝しています。ランサーEX1800ターボGSR勢では大場選手の5位がベストリザルトでしたが、第2戦のKANSAI RALLYから第4戦のTOUR de SHIKOKUまで3連勝。

 第5戦のクロス&イーグルと第6戦のKASC岩手山岳ラリーは2戦続きでいすゞジェミニに優勝を許したものの第5戦では2~3位に、第6戦では2~4位に、それぞれランサーEX1800ターボGSR勢が続きました。そして第7戦のMSCC東京ラリーから最終戦の鳥海ブルーラインまで4連勝を飾り、シリーズでは3勝を飾った神岡政夫選手がチャンピオンを獲得しています。

 ランサーEX1800ターボGSRが国内ラリーで大活躍を見せた1982年シーズンですが、国内だけでなく世界ラリー選手権(WRC)においてもランサーEXの雄姿を見ることができました。WRCに参戦するために、より競争力を高めたグループ4仕様は、三菱の岡崎工場で開発が進められたのちに船積みされてヨーロッパに渡り、1981年シーズンのWRC第4戦(ドライバー選手権戦としては第5戦)を前に記者発表が行われています。三菱ランサーEXターボ

 外観ではインタークーラー用のダクトが設けられた大型のエアダムスカートや大きなオーバーフェンダー、そしてトランクリッド後端に取りつけられたトランクスポイラーが目立つ程度でしたが、その中身はグループ4仕様ということで極限までチューニングが施されていました。

 まずは気になるエンジンですが、三菱製の大径ターボチャージャーに交換するとともにインタークーラーも装着し、最高出力は280psにまで引き上げられました。これに対応するようにシャシーも、当然のように強化。

 もちろん、フロントがマクファーソン・ストラット式、リヤがコイルスプリングで吊った4リンク式リジッドという基本形式には変化がないものの、前後のスプリングやダンパーなどはヘビーデューティなものに交換されていましたし、リヤアクスルがフルフローティング式に変更されていました。

 またブレーキは、ベースモデルでも4輪ディスクが採用されていましたが、グループ4仕様では全輪ベンチレーテッドに格上げされていたことも大きな特徴でした。ランサー・ラリーターボのデビュー戦は1981年のアクロポリスで、このときは2台ともにトラブルでリタイアしてしまいましたが、続いて参戦した1000湖(現在のラリー・フィンランド)では3台すべてが完走し10~12位につけています。

 さらにRAC(現在のウェールズ・ラリーGB)ではアンドレ・クーラングが9位入賞。そして迎えた82年シーズン、1000湖で3位入賞を果たすことになります。4輪駆動を武器にアウディ・クワトロのハヌー・ミッコラとスティグ・ブロンクビストが1-2で上位フィニッシュし、ペンティ・アイリッカラのランサーは、後輪駆動車最上位となる3位チェッカーでした。

 ただし、すでに後輪駆動ではこれが限界と判断され、三菱はふたたびWRC参戦を休止することになりました。その後、三菱ではスタリオンのグループBやギャランVR-4、ランサー・エボリューションなどを開発してWRCに再度挑戦。エースのトミ・マキネンが1996年からWRCのドライバーズ部門で4連覇を遂げ、1998年にはマニュファクチャラーも併せて見事なダブルタイトルを飾っています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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