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全日本ラリー初代チャンピオンの三菱「ミラージュ」とは? 8段のトランスミッションを搭載していました

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 三菱自動車/原田 了

軽量コンパクトを徹底的に追求しモータースポーツのベース車両に相応しい

 ミラージュのデビューは1978年の3月で、このときには1.4Lと1.2Lの3ドアハッチバックのみがラインナップされていました。半年後の1978年9月にホイールベースを80mm延長した5ドアハッチバックが登場し、さらに半年後の1979年3月には1600GTがデビューしています。

 スーパーシフトと命名されていた4×2=8速のトランスミッションは、デビュー当初こそ話題にはなりましたが、実際のところクルマの大きな武器(魅力)となるかは、疑問詞を持って語られていました。しかし1979年に1.6L(ボア×ストローク=76.9mmφ×86.0mm。最高出力は88ps)のサターン・エンジン(G32B)を搭載した1600GTが登場すると、少し事情が変わってきます。

 名前的には勇ましい1600GTを名乗っていましたが、1.4L(ボア×ストローク=74.0mmφ×82.0mm。最高出力は82ps)のオリオン・エンジン(G12B)を搭載していた、それまでのトップモデル1400GLSに比べてパワーアップはわずか6psに過ぎません。このパフォーマンスデータの数値だけで、1600GTが大きく注目を集めることにはなりませんでした。

 ただし最高出力を発生する回転域がG12Bの5500rpmから、G32Bでは5000rpmまで500回転引き下げられたこと。そして最大トルクがG12Bの12.1kg-m/3500rpmからG32Bでは13.5kg-m/3000rpmとなったことからも明らかなように、中速域(中回転域)でのトルク特性が太くなっていることに注目する関係者も少なからずいたようです。そして何よりもモータースポーツ、とくにラリーにおける車両規則が一新されたことで、ミラージュ1600GTは、一気にトップコンペティター候補として注目を浴びるようになったのです。

 じつは、ミラージュ1600GTが発売された1979年シーズンには、ラリー競技において初めて、全日本選手権(JAF全日本ラリードライバー選手権)が懸けられることになったのです。そして前年まで主流となっていたフルチューニング車両ではなく、排気ガス対策が施された車両で、エンジンに関しては“完全ノーマル”が義務付けられることになったのです。

 こうなるとベースモデルのパフォーマンスが、それまで以上に重視されることになります。ミラージュ1600GTは、最高出力こそ88psと限られていましたが車両重量が3ドアハッチバックで830kg、5ドアハッチバックでも860kgに過ぎませんでしたから、パワーウェイトレシオは約9.431kg/ps。

 また全長×全幅×全高の3サイズとホイールベースも、3ドアハッチバックで3790mm×1585mm×1350mm、2300mmで5ドアハッチバックも3895mm×1590mm×1350mm、2380mmとコンパクトにまとまっていて、まさに“永遠の正義”とされる軽量コンパクトを徹底的に追求して、これがモータースポーツのベース車両に相応しいと判断されたのです。

 1979年の4月に行われた選手権の開幕戦には車両が間に合わずパスすることになったミラージュ1600GTですが、シリーズ第2戦(当初は第3戦として開催される予定でしたが、第2戦が延期となったために第2戦に)、北海道は洞爺湖周辺で行われた第8回アップルサファリラリーでデビュー。山内伸弥/山口 励組のADVANミラージュがデビューウィンを飾っています。

 山内選手は「パワーのない分を8段のミッションがカバーしてくれた。いつもトルクバンドに乗っている感じで最高でした。今後が楽しみです」とコメントしていましたが、続く第3戦の第7回KASC岩手山岳ラリーで連勝。

 山内組に加えて大庭誠介/小田切順之(ナビが第5戦は森哲也)組、上野陽志夫/岩崎尚司組の3台で参戦したADVANミラージュはシリーズ9戦のうち8戦に参戦、3台すべてが勝利し都合5勝を挙げるという勝ちっぷりで、開幕2連勝の後も着実に上位につけていた山内組が、JAF全日本ラリードライバー選手権の、記念すべき初代チャンピオンに輝いています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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