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【ACシェルビー コブラ誕生物語】英国メーカーになぜアメリカンV8エンジンが搭載されるようになったのか

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/Shelby

フレームを改良してV8エンジンを搭載

彼はオースチン ヒーリーでのレース参戦や、速度記録に挑戦したキャリアを持っており、英国製のライトウェイト・スポーツのハンドリングに感銘を受けたようでした。そんな英国製のライトウェイト・スポーツに、アメリカのハイパフォーマンスカーに搭載されている大排気量のV8を搭載した“アングロ・アメリカン”なスポーツカーを考えていたのです。

シェルビーはGM(シボレー)とフォードのビッグ2に打診しました。コルベットのライバルになることを危惧したGMからはいい返事をもらうことができませんでしたが、反対にフォードは大いに乗り気だったようです。こうした経緯の末に“アングロ・アメリカン”なACコブラが誕生したのです。

コブラの開発にあたっては、エースをベースとしたプロトタイプが用いられていました。最大の課題はフォード ゼファー用の直6エンジンに換えて、フォードのスモールブロックV8を搭載すること。フレームを改良して大きなV8エンジンが搭載できるようにすることに加えて、駆動系が野太いトルクに対応できるよう強化することも必須でした。そして当初は4.3LだったV8エンジンの排気量は、4.7Lまで排気量が拡大されています。

1965年にはエンジンを7Lに拡大

1963年モデルからはステアリングがラックアンドピニオン形式に変更されましたが、ステアリングラックはMG Bのものを転用し、ステアリングコラムはVWビートルから流用されるなど、英国流が貫かれていました。この1963年モデルはマークIIと呼ばれ、1965年の夏までに600台近くが生産されています。

さらに1965年に登場したマークIIIではサスペンションのスプリングがリーフからコイルに変更され、エンジン排気量は7L前後にまで拡大。その排気量によってACコブラ427/428(3桁の数字はキュービックインチでの排気量から)と呼ばれるようになりました。ACコブラ427

ACコブラの生産は、イギリスのACでアルミ製のボディ付きのローリングシャシーを生産し、それをアメリカに輸出。アメリカではシェルビー社でフォード製のV8エンジンを搭載して完成車として仕上げる工程となっていました。このアメリカのシェルビー社で完成させたモデルがACシェルビー コブラ、あるいはシンプルにシェルビー コブラと呼ばれることになりました。

またACではフォード ゼファーの直6エンジンを搭載したモデルを生産し、こちらは完成車としてヨーロッパ向けに販売していました。

さまざまな仕様があるためスペックも表記が難しいのですが、4260cc(ボア×ストローク=96.5mmφ×73.0mm。最高出力は264ps)のプッシュロッドV8を搭載したマークIIの260でみると、前後サスペンションは横置きリーフスプリングとロアAアームによる独立懸架でブレーキは前後ともにディスク式。

ボディサイズはホンダS2000に近い

ボディサイズは全長4240mm×全幅1520mm×全高1180mmでホイールベースは2290mm、車重は950kgとなっています。サイズ的にはホンダS2000より約100mm長く230mmスリムで、パワー的には250ps(前期モデル)と似たようなものですが300kgほども軽いことで、パフォーマンスでは圧倒的だったと思います。当時のアメリカで求められたスポーツカーと、現代のわが国で求められたものとは根本的に違っているので、どちらが優れているかの判断はできませんが……。

ただし、1970年代に上映された「激走!5000キロ(原題:THE GUMBALL RALLY)」で主役を演じたマイケル・サラザンがドライブしていたACコブラの格好良さがとても印象深かったことは、いまでもしっかりと記憶に残っています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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