国内外で評価されたものの販売面では苦戦した
最終的な総販売台数は7万6000台ほどで、大ヒットとは言えなかった。原因としては、それまでのスポーツセダンというイメージから一転して、デザインが攻めすぎて万人受けしなかったことが原因と思われ、さらに当時はセダン、そしてワゴン不振が年々深刻になるばかりだった。メカ的には当時まだ大きなクラスにはあまり普及していなかったCVTを「ハイパーCVT」として採用したことも、時代が早すぎたかもしれない。ちなみに、のちに不具合が多発して中古車市場からも急速に姿を消したのは残念だった。
メカニズムは別にして、デザインレベルが一気に上った令和の世なら、違和感なく受け入れられたルックスのような気がする。セダン不振というのなら、プリメーラSUVとしてアレンジできるレベルの高いデザインだっただけに、世の中を先取りしすぎたクルマだったと言えるだろう。もちろんそのままでなくていいので、3代目プリメーラがもっていた時代の先取り性とエッセンス、質のよさを受け継いだデザインのクルマがまた登場すると、大きな話題になるのは間違いないだろう。