クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • インターメカニカが「インドラ」に見た儚い夢。デザイナーはアルファ ロメオ「ティーポ33ストラダーレ」と同じスカリオーネでした【クルマ昔噺】
CLASSIC
share:

インターメカニカが「インドラ」に見た儚い夢。デザイナーはアルファ ロメオ「ティーポ33ストラダーレ」と同じスカリオーネでした【クルマ昔噺】

投稿日:

TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁/Newspress

  • ボディデザインは、フランコ・スカリオーネがデザインを手掛けた
  • 27台しか生産されなかった2+2モデル
  • インターメカニカ イタリア
  • ドイツから仕入れたインターメカニカ インドラ2+2
  • エンジンはオペル製の直6を搭載

27台しかない2+2が日本に輸入されていた!

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第15回目はイタリアで創業したインターメカニカ社が生産した「インドラ」を振り返ってもらいました。

イタリアンデザインの華麗なスーパーカーを製作

インターメカニカという自動車メーカーをご存じだろうか。多くの人はその名を聞いてポルシェ「356」のレプリカを思い浮かべることだろう。しかし創業者でハンガリー人のフランク・ライズナーは妻のパウラとともにイタリアに移住し、そこでコンストルツィオーネ・アウトモビリ・インターメカニカを設立。イタリアンデザインの華麗なスーパーカー(今でいうところの)を作り始めるのである。

最初のモデルは「アポロ」と呼ばれた。アポロは成功し77台のクーペと11台のコンバーチブルを生産。続いて立ち上げたのは「グリフィス」というモデルのプロジェクトである。しかし不運にも製作する会社が倒産してしまう。そのプロジェクトは別な人間に引き継がれたが、ライズナーはそれをベースに「トリノ」という名のモデルを製作する。のちにそれは「イタリア」と名づけられることになる。

そして彼らにとって最後のイタリアン・プロジェクトとなるのが、今回取り上げる「インドラ」であった。

それはオペルとのコラボレーションという形でGMがインターメカニカを後押しし、当時のインターメカニカとしては異様に大きなプロジェクトとしてスタートした。デザインを担当したのはフランコ・スカリオーネ。

基本メカニズムはオペル・ディプロマートのものを採用していて、ドイツではオペルのディーラーで販売するという契約も成立。さらにアメリカでのディーラー網も構築された。ところが後押しするはずだったGMが突然、シボレーのエンジンやオペルのパーツ供給を停止。オペルディーラーでのインターメカニカ車の販売も禁止されたのである。これが元でインターメカニカ社はイタリアでの事業を終了し、アメリカに活路を求め、今はカナダに本拠を置いてポルシェ356のレプリカ製造を行っている。

12

 

 

 

 

 

ranking

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

ranking

AMW SPECIAL CONTENTS