27台しかない2+2が日本に輸入されていた!
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第15回目はイタリアで創業したインターメカニカ社が生産した「インドラ」を振り返ってもらいました。
イタリアンデザインの華麗なスーパーカーを製作
インターメカニカという自動車メーカーをご存じだろうか。多くの人はその名を聞いてポルシェ「356」のレプリカを思い浮かべることだろう。しかし創業者でハンガリー人のフランク・ライズナーは妻のパウラとともにイタリアに移住し、そこでコンストルツィオーネ・アウトモビリ・インターメカニカを設立。イタリアンデザインの華麗なスーパーカー(今でいうところの)を作り始めるのである。
最初のモデルは「アポロ」と呼ばれた。アポロは成功し77台のクーペと11台のコンバーチブルを生産。続いて立ち上げたのは「グリフィス」というモデルのプロジェクトである。しかし不運にも製作する会社が倒産してしまう。そのプロジェクトは別な人間に引き継がれたが、ライズナーはそれをベースに「トリノ」という名のモデルを製作する。のちにそれは「イタリア」と名づけられることになる。
そして彼らにとって最後のイタリアン・プロジェクトとなるのが、今回取り上げる「インドラ」であった。
それはオペルとのコラボレーションという形でGMがインターメカニカを後押しし、当時のインターメカニカとしては異様に大きなプロジェクトとしてスタートした。デザインを担当したのはフランコ・スカリオーネ。
基本メカニズムはオペル・ディプロマートのものを採用していて、ドイツではオペルのディーラーで販売するという契約も成立。さらにアメリカでのディーラー網も構築された。ところが後押しするはずだったGMが突然、シボレーのエンジンやオペルのパーツ供給を停止。オペルディーラーでのインターメカニカ車の販売も禁止されたのである。これが元でインターメカニカ社はイタリアでの事業を終了し、アメリカに活路を求め、今はカナダに本拠を置いてポルシェ356のレプリカ製造を行っている。