アメリカで栄光の歴史を歩んできたミウラ P400
このほどボナムズ「Scottsdale 2025」オークションに出品されたミウラ P400は、1967年夏に生産されたシャシーナンバー「3057」で、37番目に完成した生産車として知られている。
ファーストオーナーのベン・ジョンソンは、イタリアを旅行していたアメリカ人とのことで、サンタ・アガータ・ボロネーゼの本社工場から直接自慢の新型ミウラを引き渡された。彼は、このクルマとともにヨーロッパ周遊に出かけるという人生最高の喜びを享受したのち、アメリカに持ち帰ったと伝えられている。
ところが最高の喜びもつかの間、悲しいことにジョンソン氏は帰国後まもなく他界。新車のミウラは1970年代の大半を、倉庫で眠ることになってしまう。
1978年にディーン・アバーマン博士が救い出した時点で、シャシーナンバー「3057」の走行距離はわずか2464マイル(約3942km)に過ぎなかったが、2代目オーナーのアバーマン博士はその後25年間、愛車となったミウラを定期的に路上で走らせた。
メンテナンスは、ランボルギーニのスペシャリストとして知られたジェフ・ステファンに任せるとともに、大きな誇りをもってこのミウラ P400をさまざまなイベントに出品させてゆく。彼の冒険は西海岸界隈ではよく知られており、週末にはミウラに乗ってメキシコまで出かけていた。1992年の「サンタ・バーバラ・コンクール」ではクラス最優秀賞を受賞し、「イタリアン・スタンピード」なるパレードイベントにも何度か参加。くわえて『Thoroughbred & Classic Cars』誌2000年7月号の表紙も飾っている。
独立潤滑式ドライサンプシステムにアップデート
アバーマン博士の所有していた時代、基本的にはP400のオリジナルが保持されていたそうだが、唯一「P400SV」仕様の独立潤滑式ドライサンプシステムにアップデートする改造が施された。そして2015年8月のボナムズ「クエイルロッジ・オークション」にて、1978年に博士に譲渡されて以来初めて、このミウラ P400がクラシックカー・マーケットに売りに出されることになった。
そのオークション当日、のちに新しいオーナーとなる人物(今回のオークション出品者)は、ランボルギーニ界のレジェンド、テストドライバー兼エンジニアであったヴァレンティーノ・バルボーニと同伴していたとのこと。このときバルボーニは、P400こそ「ドライバーズチョイス」であることを示唆。ミウラとしてはもっとも軽量なのにP400SVとほぼ同等のパワーがあり「速く走りたければP400を選ぶべき」と現オーナーに語ったと伝えられている。
また、バルボーニ氏はシャシーナンバー「3057」が非常にオリジナルであり、オリジナルのアルミ合金製ボディワーク、各ガラス、メカニカルコンポーネンツ、そしてアバーマン博士の愛用中に使用されたのと同じような小さな改造ポイントしかないことを指摘し、このミウラ P400のコンディションに賛辞を送ったと伝えられている。





































































































