クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CAR
  • ブガッティ復活は新幹線車内で描かれた1枚のスケッチから…「ヴェイロン」開発に隠されたフェルディナント・カール・ピエヒ博士の信念と狂気とは?
CAR
share:

ブガッティ復活は新幹線車内で描かれた1枚のスケッチから…「ヴェイロン」開発に隠されたフェルディナント・カール・ピエヒ博士の信念と狂気とは?

投稿日:

TEXT: AMW  PHOTO: Automobiles SAS

最高速度407キロのラグジュアリーハイパースポーツカー

2000年にピエヒ博士は、市販車として最高出力1001PS、最高速度400km/h超を達成するブガッティを製作すると発表した。それは、朝には時速400km/hに達し、夜には妻とともにオペラを観に行くような、優雅で妥協なきクルマをつくるという構想であった。

ピエヒの野望は明確である。ブガッティとは、比類なき究極の存在でなければならず、そのすべての車両が唯一無二であるべきだという理念を掲げていた。彼はかつて「それこそがブガッティなのだ」と語っている。

2005年にピエヒのビジョンはついに現実となる。ヴェイロン16.4は世界に向けて発表され、そのパフォーマンス、速度、ラグジュアリーは、自動車の新たな基準を打ち立てた。最高速度407km/h、0-100km/h加速は2.5秒という記録は市販車として世界最速であり、ブガッティの卓越した技術力と妥協なき姿勢を象徴するものであった。

このヴェイロンこそが、ピエヒの完璧さへのあくなき探求の結晶である。不可能を可能とするその決意は、ハイパースポーツカーという新たなカテゴリを創出し、後のブガッティの礎を築いたのである。

そして現在でも、ヴェイロンの遺産はほかの追随を許さない。それは革命であり、ハイパースポーツカーの起源であり、工学的天才と妥協なきビジョンが出会ったとき、どのような奇跡が起こるかを証明している。フェルディナント・カール・ピエヒ博士は、ブガッティを自動車技術の最前線に導き、パフォーマンスとラグジュアリーの頂点に再び立たせたのである。

AMWノミカタ

フェルディナント・カール・ピエヒ博士の功績は、自動車業界の歴史において革命的ともいえるほど多岐にわたる。「技術でブランドを作り直す」という哲学のもと、ポルシェ「917」は1970年と1971年にル・マンで総合優勝を果たし、ポルシェを耐久レースで勝てるブランドに変えた。

アウディのクアトロはWRCを席巻し、アウディの技術力、そして技術による先進を世界にアピールした。フォルクスワーゲンで高級車を作るという野望は商業的には失敗したが、そこに搭載されていたW12気筒エンジンは後にベントレーを代表するエンジンとして花が開く。

ヴェイロンの開発も狂気としか思えないアイデアではあるが、新幹線の車中で描いたスケッチはブガッティの新しい時代を切り開きブランドを存続させた。1%の天才がイノベーションを加速させると言われているが、まさにピエヒはそれに値する人物だったのではないだろうか。

12
すべて表示

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS