欧米のポルシェ愛好家のもとを渡り歩いた
RMサザビーズ「MIAMI 2025」オークションに出品されたポルシェ959は、シュポルト仕様としては16番目に製作された個体。シャシーナンバーを記したVINコードは「WP0ZZZ95ZJS905016」である。そして、ヴァイザッハからラインオフした当時より「グランプリ・ホワイト」ボディにグレーのファブリック内装の組み合わせとされていた。
1989年6月にポルシェAGから発行された販売明細書のコピーによると、北米カリフォルニア州ラホーヤ在住のヴェルナー・ファンク氏によって、ポルシェ正規ディーラー経由ではなく、「ディレクトヴェルカウフ(Direktverkauf)」。つまり工場直販で新車購入されたことがわかっている。ファンクは以前、ポルシェ・ファクトリーがスポンサーを務めるレーシングチームのクルーチーフを務めていたこともあり、ポルシェとのコネクションは強かった。ドイツ生まれの彼は、1978年にアメリカに移住したのち、自動車産業関連の会社を立ち上げて成功を収めていた。
もちろんポルシェの愛好家であれば、959がアメリカ連邦運輸省の輸入法や排ガス基準に適合することができず、アメリカ合衆国に新車で納車されることはなかったとご存じだろう。そのため、ファンクはシュトゥットガルトのポルシェ本社ファクトリーで直接このクルマの引き渡しを受けることにした。
今回のオークションに先立ち、RMサザビーズ北米本社スタッフはファンク氏に聞き取り調査を行い、同氏がこの959シュポルトを保有していたのはわずか2〜3週間ほどに過ぎなかったことを確認したという。アメリカに持ち込むことができないうえに、多忙な彼は、ヨーロッパで定期的に愛車を楽しむことができないと判断したから……、というのが理由だったようだ。
彼は1989年、スイスの「グラバー・フェラーリ」社を通じてこのクルマを売却した。しかし引き渡す直前、彼はフランスのサーキットを借りて959シュポルトの本領を発揮し、グラバー社の粋なはからいで用意された「フェラーリF40」と「288GTO」のステアリングを代わる代わる握って楽しんだ。車両に添付されたファイルに収められている写真には、この時代における世界最上級スーパーカー3台と過ごした素晴らしき休日が記録されている。この日ファンクは、サーキットでおよそ100マイルを走ったと推定されるとともに「What fun it was.(楽しかった!)」と述懐していた。
2015年まで入念なメンテナンスが行われていた
また、スイスにある「ポルシェ・ツェントラム・シンツナッハ・バッド(Porsche Zentrum Schinznach Bad)」に保管されている資料によると、この959シュポルトは2008年にエンジンとギアボックスの機械的な修理、ABSとリミテッド・スリップ・ディファレンシャルの修理を受けている。さらに、2015年まで費用を惜しまず入念なメンテナンスが行われたことが、請求書に記録されている。
この959シュポルトは、2015年にイタリアに輸出されるまではスイスに留まっていた。そして、スウェーデンにいったん輸出されたのちに再びイタリアへと戻り、さらに米国に初めて輸出されて現在に至っている。
RMサザビーズ北米本社は、公式カタログにて
「ポルシェのアイコニックな959のなかでも究極の1台を、信じられないほど良いコンディションで入手できる絶好の機会」
とアピールしつつ、現オーナーと協議のうえ550万ドル~650万ドル(邦貨換算約7億8300万円〜約9億2500万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定することになった。
959シュポルトがマーケットで売りに出される機会は非常に少なく、いわゆる相場価格は算定しづらいのだが、スタンダードの959(コンフォート)が200万ドルあたりで推移している実情と比べると、今回のエスティメートは959シュポルトであることにかなりの自信を抱いていたことをうかがわせる。
ところが、迎えた競売では出品者側が規定したリザーヴ(最低落札価格)には及ばず、残念ながら流札。オークションの終了後、RMサザビーズ北米本社営業部門によって個別販売されるという結果に終わったのである。

























































































