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日産のモータースポーツの聖地「追浜工場」が幕を閉じる…私が見たワークスの風景【Key’s note】

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TEXT: 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)  PHOTO: 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)/日産自動車(NISSAN)

モータースポーツの聖地でもあった

私は神奈川県に住んでいることもあり、どうしても他人事には思えませんでした。しかも追浜には「日産グランドライブ」と呼ばれるテストコースがあり、私たちマスコミ向けの試乗会なども開催されていて、とても身近な存在なのです。

さらに言うならば、かつて追浜工場内にはスポーツ車輌開発部があり、モータースポーツ用のマシンを開発していました。じつは私も、かつて日産の契約ドライバーだったことがあり、この追浜工場には何度も通って、マシン開発に取り組んだ記憶が鮮明に残っています。

まさに“ワークスの舞台”でした。世界を制したスカイラインGT-Rや、WRCに挑戦したパルサーGTi-Rなどの開発にも携わりました。ル・マン24時間で日の丸を掲げたグループCカーの開発もこの地で行われていたのです。追浜は生産拠点であると同時に、モータースポーツの聖地でもあったのです。

追浜は神奈川の一隅、横須賀市の海に面した場所にあり、潮の香りが漂っていました。スポーツ車輌開発部隊はテストコースに面した建物にあり、新しいパーツが組み込まれるやいなや、すぐにテストコースへとマシンが飛び出していきました。走っては改良し、改良しては走る。そんなテスト走行が、何度も何度も繰り返されていたのです。

現在、スポーツ車輌開発部はこの地から姿を消していますが、テストコースは「日産グランドライブ」と名称を変え、当時の面影を今に伝えています。

もちろん、追浜工場での車両生産は終了すると発表されましたが、土地そのものがすぐになくなるわけではなさそうです。売却される可能性も否定できませんが、あくまでも噂の域を出ておらず、日産グランドライブなどの施設は残されるのではないかとも言われています。

追浜工場の敷地内には研究所もあります。生産は終わっても、開発業務は今後も続けられるのでしょう。かつてのように、モータースポーツに直結する華やかなマシン開発が行われることはないかもしれませんが、研究所が存在するかぎり、テストコースの必要性も残るのではないでしょうか。

追浜の海が、変わらずそこに在り続けるように、ここで生まれたクルマたちも、きっとどこかで走り続けていることでしょう。私たちが道を歩くとき、その道端で「追浜」という名前を見かけたら、この場所のことを少しでも思い出していただけたら嬉しいです。

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  • 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)
  • 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)
  • 1960年5月5日生まれ。明治学院大学経済学部卒業。体育会自動車部主将。日本学生チャンピオン。出版社編集部勤務後にレーシングドライバー、シャーナリストに転身。日産、トヨタ、三菱のメーカー契約。全日本、欧州のレースでシリーズチャンピオンを獲得。スーパー耐久史上最多勝利数記録を更新中。伝統的なニュルブルクリンク24時間レースには日本人最多出場、最速タイム、最高位を保持。2018年はブランパンGTアジアシリーズに参戦。シリーズチャンピオン獲得。レクサスブランドアドバイザー。現在はトーヨータイヤのアンバサダーに就任。レース活動と並行して、積極的にマスコミへの出演、執筆活動をこなす。テレビ出演の他、自動車雑誌および一般男性誌に多数執筆。数誌に連載レギュラーページを持つ。日本カーオブザイヤー選考委員。日本モータージャーナリスト協会所属。日本ボートオブザイヤー選考委員。
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