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ヒトラーも認めた技術力! 世界初の水陸両用車「アンフィカー」の波瀾万丈

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 小林俊樹(KOBAYASHI Toshiki)

激動の歴史の中で翻弄されながら
執念が生んだ水陸両用車の開発

アンフィカーの開発者は、ドイツ人のハンス・トリッペル。第2次世界大戦前にはレーシングドライバーとしても活躍したそうだから、クルマ好きではあったのだろう。しかしそれ以前から彼が興味を示していたのがいわゆる水陸両用車で、1932年には最初の水陸両用車を完成させている。翌年には、初の水陸両用オフロード車も完成させたそうだ。

1930年からトリッペルは、当時のSA( Sturmabteilung/突撃隊)に所属し、1936年にはベルリンに招待され、総統官邸のなか庭で、アドルフ・ヒトラーに自ら製作した水陸両用車を見せている。ヒトラーはこれに対し、トリッペルに開発助成金として1万ライヒマルクを与えている。資金を得た彼は、最初に開発したSG6と呼ばれるモデルよりも大型の、16人乗り水陸両用車を20台国防軍に納入した。

第2次世界大戦開戦時から、トリッペルは水陸両用車の研究開発に没頭していた。そして1940年に彼はモルスアイムの元ブガッティの工場長に就任、1941年にはこの工場がトリッペル・ヴェルケとして設立され、およそ200台のトリッペル開発の水陸両用車がここで生産されたとされている。

戦後はナチスに加担した罪で投獄され、5年の刑を受けるものの、恩赦を受けて3年で解放された。彼の水陸両用車に対する情熱はまったく失われておらず、その後も複数のモデルを開発するものの、いずれも失敗に終わっている。転機となったのは1958年に彼が新たな会社ユーロカーGmbHを設立し、アリゲーターという名の水陸両用車を発表した際に、旧知だったハラルド・クヴァントと再会したことである。
ハラルド・クヴァントはもちろんBMW再興の原動力となった、クヴァント家の長男である。クヴァントはトリッペルに新たなモデルの開発を促し、クヴァント家が管理をしていた元軍需工場を使用して新たなモデル、アンフィカー770の生産を行うのである。

水上7ノットと陸上70マイルを両立
アンフィカーのユニークな特殊構造

生産は車体とシェルに分けて行われ、車体はベルリンで。シェルの方はリューベックで行われた。シェルがリューベックで行われた痕跡は、ステアリングのホーンに描かれたリューベック旧市街入り口に立つ、ホルステン門のエンブレムから知ることができる。

ボディはオールスティール製で、下部は1.5mm厚の板金で密閉されたタブとして形成されている。すべての部品は溶接され、落下や緩みのないよう対策されている。水上走行の場合、ドアは内側から通常のドアハンドルとは別の、第2のハンドルでさらにロックされ、ドアシールがより強く圧着されることにより、水の浸入を防ぐ。

アクスルシャフトから浸入する可能性のある水を汲み出すため、ビルジポンプがエンジンルームに標準装備されているのも特徴だろう。その排水のため、リアエンド右側には排水溝も装備されている。

エンジンはなぜかイギリスのトライアンフ・ヘラルド用1.2L・4気筒が使われ、トランスミッションは通常の4速と、水上走行用の2速を組み合わせたユニークなもので、イタリアのヘルメス(Hermes)というメーカーが作ったものだ。コントロールは別々で、フロアには二つのシフトレバーがある。大半がアメリカに渡ったアンフィカーだが、1961年にニューヨークショーで初出品され、大きな反響を呼んだ。販売も順調だったが、アメリカの環境基準が変更され、1968年以降アメリカでの販売ができなくなることを受けて、幕を閉じるのである。

ちなみにアンフィカー770という名称は、水上を7ノット(およそ時速13キロ)で航行し、陸上では70マイル(およそ時速112キロ)で走る能力を意味する名称である。

アンフィカー770の生産は実質的に1963年で終了。1965年までに2万5000台の販売を見込んで大量に生産したため、膨大な在庫を抱えたことも倒産の一因であった。売れ残ったパーツを使って最後の新車が組み立てられたのは、1965年。それでも残ったパーツは、すべてカリフォルニアのヒュー・ゴードンという人物に買い取られたという。

また、大半は左ハンドル仕様だが、イギリス向けに97台だけ右ハンドル車が生産され、2025年にはその希少な右ハンドル車両が、RMサザビーズのオークションに出品されている。その際の落札価格は9万3500ドル(2026年2月中旬のレート:1ドル153円換算/1432万円)だった。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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