皇帝伝説の幕開けとなったベネトンF1マシン「B192」はF1の転換点にいた最高傑作!?
2026年1月、クラシックカー保険の世界最大手ハガティ傘下のオークションハウス「ブロードアロー・オークションズ」が、英国・欧州向けにオンライン競売を開催しました。その目玉は、1992年ベルギーGPでミハエル・シューマッハがF1初優勝を飾った歴史的マシン、ベネトンB192シャーシNo.05です。スタート価格は850万ユーロ(約15億6000万円)という強気のエスティメートでした。しかし1週間の入札期間を経ても最低落札価格には届かず、伝説のマシンは流札という結末を迎えました。いったいこのマシンに何があったのか、その全貌に迫ります。
弱小F1チーのベネトンが王朝を築く足掛かり
「勝利の方程式」となる3人が1991年集結!
1980〜90年代に日本を含む世界各国で旋風を巻き起こしたイタリアのファッションブランド「ベネトン」は、1983年にまず「ティレル」チームのスポンサーとしてF1GPに参入した。続いて「アルファロメオ」、「トールマン」のスポンサーとしてF1グリッドに登場し、1985年末には当主ルチアーノ・ベネトンが経営難のトールマン・チームを買収するに至る。このころにはすでに、F1で成功するにはインフラや技術開発の継続性、そして優れたエースドライバーにワークスエンジンが不可欠だという認識を固めていた。
1986年シーズンに「ベネトン・フォーミュラ」と改名したチームは、その意図を即座に示した。空力の鬼才ロリー・バーンをチーフエンジニアに擁して開発され、BMW製1.5リッター4気筒ターボエンジンを搭載した「B186」は、デビューシーズンとなる1986年のメキシコGPで勝利を収め、ベネトンが単なる話題先行のルーキーではないことを証明した。3.5リッター自然吸気エンジン時代を迎えた1980年代終盤には、「ウィリアムズ」「マクラーレン」「フェラーリ」などの名門チーム以外では、もっとも有力な挑戦者として地位を確立していた。その後、ロリー・バーンは他チームへ移籍する。
転換点となったのは、1990年にチーム監督としてフラヴィオ・ブリアトーレの起用だ。レース経験こそ乏しかったものの、組織運営の本質を理解していた人物である。ロリー・バーンとロス・ブラウンの二名をチームに招聘し、「最強の技術双璧」が合流したのが1991年の後半だ。この二人が合流し、その後にベネトンからミハエル・シューマッハと共にこの双璧もフェラーリに移籍し、じつに15年以上にわたってこの三人がF1界を支配することになる。ドライバーのシューマッハ、テクニカルディレクターのロス・ブラウン、そして空力デザイナーのロリー・バーンの三名を総称して「勝利の方程式」と言われるほど、栄枯盛衰の激しいF1グランプリの世界で勝利を重ね続けたのである。この一連の人事采配の英断こそが、変革の瀬戸際に立つベネトンチームの基盤を築いていくことになった。
少し話を戻すと、1991年シーズンにるとベネトンは散発的な勝利では満足できなくなり、真の「王朝」を築けるドライバーを求めていく。そこに登場した最後のピースが、メルセデス・ベンツの若手育成プログラム出身のミハエル・シューマッハだった。
若き新星は1991年のベルギーGPにて「ジョーダン」チームから鮮烈なデビューを果たし、その数日後にはベネトン・フォーミュラが獲得を決定した。この動きは、のちにF1の様相を一変させる布石となる。

はたして1991年シーズン後半は、ベネトンの直感を裏づけるものとなった。シューマッハは即座に3度の世界王者ネルソン・ピケに並び、やがて追い抜いた。安定したポイント獲得と、新人としては稀に見る高い技術的理解力を示したのだ。さらに重要だったのは、ベネトンが次の段階に求める資質、たとえば執拗なまでの集中力、マシンへの理解度、プレッシャー下でも結果を出す能力を、シューマッハが着実に発揮し始めていたことだった。


















































































