1854年江戸時代にすでにスチームカー完成!?
馬車から自動車へ変わる転換点を知る展示車両
建物は巨大である。弓型に弧をなすファサードは全長100mにも及び、訪れる人を圧倒する。3階建ての館内は、主として2階にクルマの展示物が置かれ、3階はその一部と資料センターや他の展示物が当時はあった。当時はエレベーターなどなかったと記憶するが、現在は快適にエレベーターで各階に行けるようになっている。
自動車の歴史を垣間見ることができると話したが、とにかく見たこともないようなクルマや、聞いたこともないような車名のメーカーまでじつに豊富。そのいくつかをここで紹介しよう。なお、当時の展示車両はおよそ200台だそうで、果たして今はどうなっているのか、また訪れたい博物館の筆頭格である。
入り口から階段を上がり2階にたどり着いたその正面にあるのが(当時は)、ボルディーノの名を持つスチームカーである。といっても元々は馬車のコーチだったのだが、これにボルディーニが蒸気機関を取り付けたものだ。ちなみにボルディーノはイタリア陸軍の工兵大尉で、イギリスの蒸気技術を学んだ後にこの車両を製作したのだという。しかも作られたのは1854年だから、日本はまだ江戸時代のことだ。交通手段が「馬」から「自動車」へと切り替わったこの過程は、単なる技術の進歩だけでなく、社会の仕組みを根本から変えた巨大な転換点となった。
いくつかの重要な展示物を紹介すると、個人的にその筆頭に挙げられるのが、1907年製の「Itala(イターラ)35/45hp」である。このクルマは、同年の北京ーパリレースのウィニングカーそのものだ。北京から中央アジアを通り、モスクワ、ワルシャワ、ベルリンを抜けてパリに至る1万6000kmのレースに参加したのは、このイターラを含む5台のクルマ。イターラは2位に20日の差をつけて圧勝したという。
排気量16リッター超えOHV4気筒のGPカーや
星形16気筒エンジン搭載の名車や珍車がズラリ
同じく1907年に作られたフィアットのグランプリカーは、当時3大レースといわれた「タルガ・フローリオ」「カイザースポカール」、そして「フレンチGP」をすべて制したクルマである。4気筒エンジンは排気量1万6286cc! チェーンドライブで130hpを誇り、OHV、半球型燃焼室、スパークプラグの中央配置など、画期的なメカニズムを持っていた。そもそもグランプリレースがこの時代にすでに存在していたことにも驚かされる。
珍しいところでは、1935年製の「トロッシ・モナコ(Trossi-Monaco)」が挙げられる。このクルマもイタリア人エンジニアのアウグスト・モナコ(Augusto Monaco)が設計、同じくイタリアの貴族でありレーシングドライバーでもあったフェリーチェ・トロッシ(Felice Trossi)伯爵が作り上げたグランプリカーである。フロントに搭載されるエンジンは、空冷2サイクルの星形16気筒で、排気量は3982cc。1935年のイタリアグランプリの予選には登場したものの、前輪駆動のせいか危険すぎるハンドリングのためレースには出場していない。ちなみにフェリーチェ・トロッシ伯爵はエンツォ・フェラーリが自身のチームであるスクーデリア・フェラーリを設立した際、最初の会長を務めており、1948年のモナコGPではアルファロメオ158を駆り優勝もしている人物である。
もう1台は、1948年製の「Tarf 1」。その名からも想像がつくかもしれないが、レーシングドライバーでもあったピエロ・タルッフィ(Piero Taruffi)が開発した速度記録挑戦車だ。いわゆるカタマラン型(双胴型)のボディは、左サイドにドライバー、右サイドにエンジンを搭載するユニークなもの。そのあまりに独創的な形状から「Bisiluro(ビシルーロ=二本の魚雷)」と呼ばれたようだ。搭載エンジンは複数テストされ、ジレラやモト・グッツィのバイク用エンジンが試されたそうである。
ニューヨーク近代美術館も認めたチシタリアや
わずか10年で姿を消した幻の高級車メーカーも
ジョバンニ・バッティスタ・ピニンファリーナがデザインした「チシタリア202」(チシタリアを作ったピエロ・ドゥジオは、実業家でありながらレーサー)は日本でも有名なモデルだ。1946年に世界で初めてフロントフェンダーからドア、リアフェンダーまでが段差なく一続きになるフラッシュサイド(ボディサイドが平滑なデザイン)のスタイリングを実現した画期的モデルである。このボディの美しさは、1951年にニューヨーク近代美術館(MoMA)が、チシタリア 202を「世界で最も美しい車のひとつ」として永久収蔵品に選出したほどだ。
聞いたこともなかった自動車メーカーの1台は、「ファブリカ・ディ・アウトモビリ・フロレンティア(Fabbrica di Automobili Florentia)」という会社のモデルだ。のちにイソッタ・フラスキーニのエンジニアとなるカッターネオが開発した。フロレンティアは大量生産を行わなかったため、現存する車両は世界でも極めて稀。フィレンツェという芸術の街で生まれため、フィレンツェの工芸技術を活かし非常に高品質で豪華な車両を製造し「走る芸術品」としての地位を確立しようとしたが、過剰なまでの品質追求によるコスト高や経営戦略の難しさから、わずか10年足らずで自動車製造から撤退(1910年)した。
館内にはテクニカルセクションと称する、シャシーやエンジンを展示するスペースがある。このシャシーは、1923年に「サン・ジュスト」といういわゆるサイクルカーメーカーが作ったものだが、ミッドシップの空冷4気筒エンジンに、4輪トランスバースマウント・リーフスプリングサスペンション、バックボーンフレームなど非常に興味深い構造を持っている。
現代FFの礎「アウトビアンキ・プリムラ」や
ランチア/フェラーリD50など世界初だらけ!
ひっそりと置かれた目立たないセダンは「アウトビアンキ・プリムラ」。このクルマこそダンテ・ジアコーザ(Dante Giacosa)が仕上げた初の横置きFWD(前輪駆動)システム(ジアコーザ・レイアウトとして)を持つモデルで、のちにフィアット128として1969年に開花。それまでのミニなどで展開していたエンジンとトランスミッションを「縦」に重ねるなどのFF方式では、整備性が悪く車高が高くなるなど欠点があった。それをエンジンとミッションを横一列に並べるジアコーザシステムとすることで、現在の軽自動車から高級車まで続く現代FF車のスタンダードとなった初めてのモデルだ。
この博物館の収蔵車両の多くは、個人や企業からの寄贈によるものだ。ベアシャシーの「フェラーリ246 F1」は、エンツォ・フェラーリ個人が寄贈したものだ。また、ランチアから寄贈された「D50 F1」はJ・M・ファンジオがワールドチャンピオンに輝いたマシンだが、アルベルト・アスカリの死によってランチアがレースから撤退。マシンを含むレース用資材をフェラーリに売却したため、のちにランチア/フェラーリD50(ダブルネーミング)としてワールドチャンピオンカーとなった。このD50は6台作られ、現存するのは2台のみ。もう1台はランチアが所有する。このD50も画期的マシンで、ガソリンタンクをボディの左右両脇に置き前後重量配分の均等化の設計やエンジンをボディの一部とするストレスマウント方式を採用した世界初のF1マシンだ。
フィアットが寄贈した1954年製の「フィアット トゥルビーナ(Fiat Turbina)]」は、車名のとおりラテン語で「回転するもの」「渦巻」を意味する Turbo(トゥルボ)に由来し、英語ではTurbin(タービン)となるが、イタリア語では最後に「a」がついて女性名詞となりTurbina(トゥルビーナ)、つまりカスタービンエンジンを搭載している。実はこちらも前出のジアコーザが手掛けたクルマで、トゥルビーナの開発について「実用性よりも、フィアットの技術的な誇りを示すための挑戦だった」という振り返りをしている。
とまあ、1台ずつ挙げていたらきりがないくらい内容が濃い博物館である。
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