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爆撃機のジェットエンジンを搭載した世界初の陸上速度記録車は、時速800キロを狙った怪物マシン!

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Bonhams  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

世界初の爆撃機ジェットエンジンを搭載した伝説の速度記録車が競売に登場!

2026年6月13日、アメリカ合衆国ネヴァダ州リノの「ナショナル・オートモビル・ミュージアム」にて、ボナムズ社によるオークションが開催された。数ある出品車のなかでも注目を集めたのが、第二次世界大戦後のアメリカで花開いた「ホットロッド」文化の中で製作が始まった、世界最速の陸上速度記録車を目指した1960年式ジェットエンジン搭載の「フライング・カドゥケウス」である。時速500マイル(約800km/h)超えを目指した仲間たちが目指した野望と怪物マシンのディテールに迫る。

ドクターと腕利きのビルダーが集結し地上時速500マイル超えのホットロッド計画の野望とは!?

「それは、ある夜のステーキディナーから始まった」

1950〜1960年代、世界中の自動車メーカーや冒険志向の強い研究者たちは、国際的なスピード記録樹立に血道を上げていた。とくにユタ州ソルトレークシティに広大な塩類平原「ボンネヴィル・ソルトフラッツ」を有するアメリカでは、スピードチャレンジが現在に至るまで隆盛をきわめている。

ジェットエンジンを搭載する「フライング・カドゥケウス」も、ボンネヴィルで時速500マイル超えのスピード記録に挑んだマシンである。1960年10月号の「ホットロッド・マガジン」誌に掲載された記事によると、1957年に医師で自動車愛好家のネイサン・オスティッチ(Dr. Nathan Ostich)博士が友人たちを招いて無料のステーキディナーを振る舞った。ディナーに集まった友人たちは、博士とともにホットロッドの製作に携わる腕利きのビルダーたちのことである。そして博士は、彼らの技術を頼りに、陸上速度記録を時速500マイル以上に押し上げることができるジェットエンジン搭載車の製作という壮大な構想を提案した。開発者であるネイサン・オスティッチ博士の本業が「医師(Doctor)」であったことから、ギリシャ神話の医学の象徴である「カドゥケウス」の名が授けられたという。

仲間たちと議論を重ねた結果、最も重要かつ危険な要素として浮上したのがタイヤである。外径20インチのタイヤが時速500マイルで回転すると、その回転数は8400rpmに達し、タイヤには約2万Gもの求心加速度がかかることになる。つまり、タイヤがバーストしてしまう危険性が当初から危惧されていたのだ。

オスティッチ博士はこの問題の解決策を求めてファイアストン社に打診し、同社は超高速走行に耐えうるホイールとタイヤの開発に同意した。博士は資金を出して精鋭チームを結成し、1960年のボンネヴィル走行を目標に約2年間の開発期間へと突入する。推進機として選定されたのは、コンベア「B-36D」戦略爆撃機に搭載されていたゼネラル・エレクトリック「J47-19」ターボジェットエンジンである。

このJ47エンジンはF-86セイバー戦闘機などにも広く採用された当時の傑作機であり、B-36爆撃機においては、巨大なレシプロエンジン(ピストンエンジン)6基の補助として主翼両端にペアで計4基が懸架されていた。ホットロッドビルダーたちは、当時の軍用機における最新のハイブリッド推進技術に着目し、その強大な推力を陸上へと転用した点に技術的な先進性がある。こうしてボランティアのホットロッド製作者コミュニティが結束し、マシンは徐々に形を成していった。

爆撃機のジェットエンジンとシボレーの足回りを融合、唯一の懸念点はタイヤ

こうして姿を現したマシンは、直径4フィート(約1.2m)の円筒形の構造体を鋼管で組み立て、アルミニウム製の外板で覆っていた。コックピットはアルミニウム製ノーズコーン直後の低い位置に配置され、その両脇には2つの吸気ダクトが並んでいる。4輪独立懸架のサスペンションは、1960年式シボレーのフロントサスペンション部品を用いて製作されていた。

広大なボンネヴィルであっても確実な制動は不可欠であり、ハリブランド製キャリパーを備えた直径14インチのディスクブレーキを4基装備している。加えて、直径8フィート(約2.4m)のリボン型パラシュートによって高速時の制動を可能にしていた。なお、初期の仕様には横風を安定させるフィンがなく、これはのちの挑戦で追加されている。

いっぽう、ファイアストン社は直径48インチの軽量タイヤを装着した34インチのアルミ合金ホイールを特別に製作した。マシンは1960年のボンネヴィルに向けて準備が整い、数回の走行が行われたものの、その過程で設計や施工上の欠点がいくつか明らかになる。改修には2年を要したが、1962年には再びソルトフラッツに戻り、翌1963年には時速359.7マイル(約578.9km/h)を記録したものの、陸上速度の世界記録を樹立するまでには至らなかった。

「世界に一台」の陸上速度記録に挑んだ初のジェットエンジン搭載車両

世界記録の樹立こそ叶わなかったが、このマシンは創意工夫と決意の金字塔を打ち立てた。本車に続き、クレイグ・ブリードラブの「スピリット・オブ・アメリカ」など、数多くのジェットエンジン搭載車が誕生することになったのだ。これらはすべて、ジェットエンジンによる陸上速度記録挑戦の先駆者であるネイサン・オスティッチ博士の系譜のなかにあった。

それから64年を経た現在、「ナショナル・オートモビル・ミュージアム」に展示されてきたこの車両はほぼオリジナルの状態を保っており、ファイアストン製のボンネヴィルタイヤもそのまま装着されている。展示用のJ47-19ジェットエンジンも、落札者へと引き渡されることになっていた。

ボナムズ社の公式オークションカタログでは「世界にただ1台、唯一無二の存在」というフレーズを添え、7万ドル〜9万ドル(邦貨換算約1134万円〜約1458万円)というエスティメート(予想落札価格)を設定した。その上で最低落札価格を設定しない「無条件」のオークション形式で出品されている。

しかし、6月13日の競売では何らかの事情で入札停止となったようで、落札は果たされないままオークションは終了した。現在でも当初のエスティメートを維持したまま、販売継続となっている。

※為替レートは1ドル=162円(2026年6月13日時点)で換算

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

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