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オフロードでも好成績! レースやラリーで活躍した偉大なるクルマ7選

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: 日産/三菱/フォード/スバル/Auto Messe Web編集部

クルマ好きに語り継がれる名車へ

 市販車ベースのモータースポーツは、当然のことながらベースとなった市販車の素姓の良さがモノをいう。そうした中、サーキットで行われるレースと公道や未舗装のコースで競い合うラリーという、環境が異なる両舞台で優秀な成績を収めたというクルマは多くはない。オン・オフを問わずモータースポーツの世界で活躍した、稀代の名車たちを振り返ってみよう。

日産フェアレディZ(S30)

 初代のフェアレディZ(S30)は、50年前の1969年に登場。 1970年には国内レースの富士1000kmに日産ワークスが輸出仕様のダットサン240Zをデビューさせ、黒沢元治・高橋国光のコンビで優勝。翌年の全日本鈴鹿300kmレースでも優勝している。

 SUPER GTでも活躍した柳田真孝の実父で「Zの柳田」の異名をとった、柳田春人が1972年の大雨の富士GCで240Zを駆って優勝したのも有名なハナシ。”雨の柳田”と呼ばれるようになった。

 また、ラリーでは1971年のモンテカルロラリーが国際ラリーのデビュー戦で総合5位に入賞。翌年のモンテカルロラリーでも3位(ナビゲーターは元フェラーリF1チームの監督=ジャン・トッド、現FIA会長)と好成績を収める。さらにサファリラリーでは1971年にワンツーフィニッシュ。1973年のサファリラリーも制覇した。

 

トヨタ スープラ(A70)

 トヨタのスポーツカー、70スープラはレースでもラリーでもあまり強い印象はないかもしれない。しかし、グループA時代の全日本ツーリングカー選手権(JTC)に1987年から1990年まで参戦し、デビューレースで優勝。ドライバーは元F1チャンピオンのアラン・ジョーンズとE・エルグのコンビだった。 また、WRCでは1987年のサファリラリーで3位表彰台をゲット。同年の香港-北京ラリーでも総合優勝を飾っている。

 

トヨタ カローラレビン/トレノ(AE86)

 80年代後半の国内モータースポーツではレース、ラリー、ジムカーナを問わずいわゆる“ハチロク”が大活躍した。

 レースではグループAの全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦し、1985年のJTC開幕戦では、スカイラインやスタリオンなど大排気量車を押さえて総合優勝。1986年のスポーツランドSUGOでも総合優勝の快挙。1985年のインターテックでは、鈴木恵一とドリキン=土屋圭市のWケイイチコンビが優勝している。

 漫画(峠)だけでなく、そのほかにも富士フレッシュマンレース、全日本ラリー、全日本ジムカーナなどで圧倒的な参加台数を誇った人気車種だった。

 

三菱ランサーエボリューション

 ”ランエボ”の愛称で親しまれるランサーエボリューションは、WRCを制するために開発され、WRCホモロゲーションを取得するために作られたクルマ。 トルクフルなターボエンジンと、独自の電子制御4WDやコンパクトで強靭なボディを武器に、トミ・マキネンと共に1996年から4年連続ドライバーズタイトルを獲得している。1990年代後半のWRCをまさに席巻した一台だった。

 レースでは、スーパー耐久シリーズで、スバルのインプレッサと熾烈な戦いを繰り広げ、好成績を収めている。

 とくに2007年は、中谷明彦、木下隆之のコンビが、開幕戦から最終戦までの全戦無敗。悪天候だった、開幕戦の仙台ハイランドでは、4WDの強みを生かし、フェアレディZやBMW・Z4などの上位クラスのマシンを退け、総合優勝を果たしている。

 

スバル インプレッサ

 日本が世界に誇るスポーツ4WDといえば、スバルのインプレッサだろう。コンパクトなボディにスバル独自のシンメトリーAWDとハイパワーな水平対向のターボエンジンを搭載。 コリン・マクレー、リチャード・バーンズ、ペター・ソルベルグなどのドライブでWRCでは、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)、マニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)という栄冠を手にしている。

 レースでは2008年からニュルブルクリンク24時間レースに参戦し、2011年と2012年に2年連続クラス優勝。国内レースでは、スーパー耐久でランエボとの激闘を制し、2002年と2005年にシリーズチャンピオンになっている。

 2005年と2007年に新井敏弘が日本人として初のPCWRCのチャンピオンになったのも、インプレッサだった。

 

フォードシエラRS

 1980年代に世界のツーリングカーレースで大活躍したマシン。ヨーロッパ・フォードが作った傑作車で、エンジンはコスワースがチューニング(シエラRSコスワース)。グループAの全日本ツーリングカー選手権(JTC)には、1987年から参戦し、1987年と1988年のドライバーズタイトルを獲得している。

 世界ツーリングカー選手権でも1987年のマニュファクチャラーズチャンピオンになり、その年のインターTECでも圧勝。日産のスカイラインGT-R(R32)が、当時最強だったフォードシエラRS500を仮想ライバルとし、打倒シエラを目標に開発されたのは有名な話だ。

 ラリーでは、のちのトヨタのエース、カルロス・サインツやオリオール、スバルのエースとなるコリン・マクレーなどがフォードシエラでWRCを戦っている。

 

ポルシェ959

 1986年に、究極のスポーツカーの姿として、当時のポルシェの最先端テクノロジーをつぎ込んで開発された当時最強の一台。

 グループCレースで最強を誇った、ポルシェ962Cのエンジンをデチューンした450馬力のエンジンを搭載し、オンロードでも速く走れる画期的なトルクスプリット4WDシステムを採用。レースでは、1986年のル・マン24時間レースにクラス優勝(IMSA-GTXクラス)。総合順位でもグループCカーを相手に大健闘し、7位に入賞し、そのポテンシャルを証明した。

 ラリーでは、当初予定していたWRCではなく(グループBカテゴリーが消滅したため)、当時、絶大な人気を誇ったパリ-ダカール・ラリーに参戦。1986年のパリダカでは、総合成績で1位2位を独占。オフロードでも圧倒的に速いことを証明した。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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