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ポルシェに負けてなお伝説! プリンスの魂の傑作「スカイライン2000GT-B」

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/日産

ポルシェ904とのバトルがレースレポートを神話に昇華させた

 日本グランプリの参戦に向けホモロゲーションを取得するため、突貫工事で車両製作を進め、グランプリ前に100台が製作されて無事に公認も取得したのです。日本グランプリのレース本番では、今も語り継がれるポルシェ904とデッドヒートを展開することになりました。スカイライン伝説を作り上げたワンシーン

 そのポルシェを購入した式場壮吉がトヨタのワークスドライバーだったことから、トヨタがプリンスに勝たせないためにポルシェを購入したのではないか、などと相当に喧しかったようです。その真偽のほどはともかく、こうして話題を呼んだことがスカイライン伝説を一層盛り上げることになったのは事実でした。

 もしポルシェ904が出場していなければ、スカイラインGTは楽勝で上位を独占したでしょうが、反対に、スカイライン伝説というストーリーも騒がれることはなかったのではないでしょうか?プリンス・スカイライン

 いずれにしても第2回日本グランプリのGTレースでは、明らかにポテンシャルの秀でたポルシェ904が勝ち、スカイラインGTはドラマチックに敗れ去りました。ですが、その余波としてレース直前に完成されたスカイラインGTの、100台のうちテストカーとレースカーを除いた92台が、スカイラインGTの名で販売されると、予想に反して飛ぶように売れたのです。プリンス・スカイライン2000GT-B

 そこでプリンスは、量産にむけて体制を再構築。熟練のメカニックが手作業で製作したスカイラインGTを、フロント左右のフェンダーやボンネットなど、手作業で製作していた固有のパーツをプレスで成形したスカイラインGTを生産販売することになりました。

 ただし1965年の2月にデビューしたこの量販モデルは、スカイラインGTではなくスカイライン2000GTと命名されていました。名前以外にも、スカイラインGTではレースオプションに設定されていた3連装のウェーバー・キャブが標準装備とされていたこと。プリンス・スカイラインGT

 今でもスカGのアイデンティティとして知られる“赤バッジ”がつけられていたこと。急造だったスカイラインGTではダッシュボードの上に置かれていたタコメーターが、メーターナセルのなかに組み込まれたことなども、スカイラインGTからスカイライン2000GTへの変更点でした。

 最後になりますが、スカイライン2000GTのメカニズムについても少しふれておきましょう。エンジンは先に触れたように、ウェーバーのトリプルキャブを装着し最高出力は125ps、最大トルクは17.0kg-mを発揮しました。

 動力性能は最高速が180km/hで、発進加速は0~400mが17.0秒。今でこそ1.5Lクラスでも標準的なパフォーマンスとなっていますが、半世紀以上も昔のことで、当時としては驚くべき高性能でした。これに対応するようにシャシーも強化されていました。

 ブレーキはタンデムのマスターシリンダーを装着した2系統式となっており、フロントには住友ダンロップ製のディスクブレーキが奢られました。サスペンションに関しても前後にスタビライザーが装着されると同時に、リヤには高いトルクでアクスルが暴れないように左右に2本のトルクロッドが追加されています。プリンス・スカイライン2000GT-B

 また駆動系に関してもリミテッド・スリップ・デフを採用、当時としては最高レベルのメカニズムを満載し、また今にも通じる崇高な意志の感じられる、より高度なスポーツカーを目指していました。なお、ウェーバーキャブの用意が底をついたことで生まれたとの観測もありますが、より大人しいチューニングを施したスカイライン2000GT-Aが登場したのに合わせて、従来の2000GTは2000GT-Bに改名しています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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